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コトバの国のコザルたち3
「呼び方の件につきまして」

2006年に某パズル雑誌に書いていた「言葉×子ども」をテーマにした連載エッセイの中から、4編をほんのすこし加筆修正して掲載します。登場する個人名は、連載当時は「仮名」にしていましたが、ここでは容赦なく愛を込めて実名です。内容については2%ほどのフイクションが含まれます。

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「今日から、ママって呼ばない!」

四月から高校生になった(漢字は書けなくても)長女が、
突然、こんな宣言をした。
たかが呼び方、されど呼び方。一応、抵抗を試みてみる。

「別にさあ、外では『おかあさん』とか『母は』とか、
使い分けができてるんだから、今のままでいいじゃん?」


「もうとにかく、ママって気分じゃないわけよ」

そういうわけで、じゃあどう呼ぶか?は保留のまま、宣言会議は閉幕した。

おもえば、子どもが親のことをどう呼ぶかは、
赤ちゃん時代からの親の会話でほど決まると思われます。

「おかあちゃんだよ」と話かけていれば、子どもは
「おかあちゃん」と認識するし、
「おかんはね」と話しかけていれば、子どもは「おかん」と呼ぶようになる。

ご近所のユウスケくんは、父親のことを幼稚園で話す時に
「お父さん」とも「パパ」とも言わなかった。
「ユウくん、上手に描けたね。この絵は、お父さんかな?」

「ううん、ダンナだよ」

お母さんの話では、自分がユウスケくんと話す時に使う
「お父さんはね」という言葉よりも、友人たちとの井戸端会議での
「うちのダンナが」という会話の方が、
子どもにとって印象が強かったのかも、とのこと。

父親のことを「ダンナ」と呼ぶ男の子がいても、
それはそれで別にいいと思うのでありますが、
まあ当然のことながら、その後、幼稚園で教育的指導を受け、
「お父さん」に矯正されたらしい。

兄弟姉妹間で、どう呼び合うか、これも親の話しかけ方の影響大!
次女メグは、ヒトの言葉を話し始めたころから、
長女のことを「お姉ちゃん」と呼んだことが一度もない。

「サキ、色鉛筆かして!」
「サキは明日、部活あんの?」

名前の呼び捨てでアル。
私が次女に話しかける時に、長女のことを、
「おねえちゃんはね」ではなくて「サキは」と話していたから、
自然とそうなったのであろうと思われマス。

ところがここにまた、世間の教育的指導が入るのでありマス。
次女が小学校低学年の頃、公園で遊ぶ姉妹の会話を聞いていた
近所のシニアマダムから
「年上なんだから呼び捨てはだめだよ。
お姉ちゃんって呼ばなきゃ」と言われたらしく、
夕食の場で、そのことが話題になった。

「サキ、お姉ちゃんって呼んだほうがいい?」

「お姉ちゃん? やめてよ、気持ち悪い。別に名前でいいよ」

この会話をもちまして、
マイリトルホームの伝統は守られたのでありマス。

大切なのは、世間の常識より、両者の合意。

名前でお互い呼び合うことで、
たまたまどちらが先に生まれたかという「形式」にとらわれず、
ふたりとものびのび仲良くやっているし。

さて、「ママと呼ばない宣言」をした長女のその後。
ママに代わるコトバがなかなか決まらないご様子。

「おかん!」と突然話しかけてきたり、
「お母さんも食べる?」と葡萄のグミの袋をもって近寄ってきたり

ある時は、「ねえ、ユー」と、
ちょっと斜に構えたポーズで私を指さしながら

「ユーは今日、買い物に行く?」と、

わけのわからないキャラで攻めてきたり。
(後日、ジャニー喜多川キャラと判明)

でも、まあ、どれもしっくりこないらしい。

部活用のスポーツバッグと学生かばんを抱えて、
ばたばたと玄関を出る彼女に言ってみた。

「ハニーにすれば?」

「は? ハニワ? ハニワがどした? ん?」

シャカシャカミュージックのイヤホンが詰め込まれた耳には、
私の戯言も正確には届かず、けげんそうな顔をしながら、
真岡鐵道北山駅にむけてダッシュしていった彼女。

そもそも、まったく別の呼び方にしようとするから、
決まらないのでアル。
ちょっとだけ変化させれば、スムーズに移行できるというものだ、

チェブラーシカのメモ用紙に案を書いて、

彼女の机の上に置いてきた。

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呼び方の件

「ママン」キボンヌ

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数日たっても反応も無ければ返事もない。
こっそり机を見に行くと、「呼び方の件」は、
プリントからコミックスやら新しい教科書やら
雑誌『ミーナ』やらの雪崩の中で、ひっそりと窒息していた。

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その後、いつの頃からか、長女からも次女からも、
呼ばれ方は「キミ」で定着している。
ハニーにもママンにもなれなかった、ハニワな(表情の)私の昨今でアル。