2006年に某パズル雑誌に書いていた「言葉×子ども」をテーマにした連載エッセイの中から、4編をほんのすこし加筆修正して掲載します。登場する個人名は、連載当時は「仮名」にしていましたが、ここでは容赦なく愛を込めて実名です。内容については2%ほどのフイクションが含まれます。
「ママが好きでも、まりなは嫌いなの!
ママとまりなの好きは違うの!」
3歳くらいの女の子が、スーパーのお菓子場で
母親に必死に議論をふっかけている。
どうやらどのお菓子を買うかで意見が分かれている様子。
まあ、よくありがちな昼下がりのスーパーでの光景だけど
それにしても、まりなちゃんの立派な論戦ぶり。
「黒豆とピーナッツが絶妙のおいしさ」にするか
「皮ごとうまい!落花生入り」にするか、煎餅選びに悩みながら、
この母娘のやりとりを聞いていた私も心の中で思わず拍手。
元気に生まれてくればそれでいいと思えていたはずなのに
生まれたら生まれたで、
「いつ立つ?いつ歩く?」「言葉の発達は?」
「トイレトレーニングは?」と
次から次に気がかりなことが増え続けていくわけで。
特に、コザル達の言葉の発達については、
イコール「人と人としてのコミュニケーション」
イコール「愛情や感情に直結」するモンダイでもあり、
ささいなことに一喜一憂したくなる。
長女サキの場合は、
1歳半からまさに立て板に水のごとくしゃべり始め、
将来はアナウンサーか弁護士かディベート戦士か!と、
じいじばあばが盛り上がっていた。
次女メグはというと、なかなか言葉を発せず、
とってものんびりしたペースで、
ヒューマンビーイングンへと進化していった。
そして、十五歳と十一歳。
ふたりとも大も小もちゃんとトイレでするし、日本語もできる。
ただおもしろいことに、読み書きお話の能力は、
小さい頃の成長ぶりとはあまり関係が無いようで。
小五生は小五生にしては、
けっこう大人女子どうしの会話が楽しめる。
数日前突然こんなことを言い始めた。
「早くひとり暮らししたいなあ。楽しそうだよねー」
「そうだねー。でも淋しくなったら帰ってくるでしょ」と私が返すと
「さあねー、そんなこと今言われてもねえ。
カレシとかできるかもしんないし」
「えー。そしたら私がそっち行くか! 一緒に住んでいい?」
「やめてよね、そんなストーカーみたいなこと」
ストーカー?
まさかこんな会話の流れで、
小学校高学年女子に軽犯罪者呼ばわりされるとは。
かつての神童、十五歳はと言うと、
皮ごとうまい!落花生入り煎餅を食べながら
「ヤバイ? ヤバイかな?」と、こちらを見ている。
なにがどうヤバイのか? 何を聞きたいのか、
具体的に説明してくれないと、わかりませんのです。
大雪のニュースを観ても、「うわあ、ヤバ!」
体重計に乗っても「まじやばー」
読んだ本や観てきた映画の感想を聞いても「びみょー」か
「まあまあ」しか返ってこない。
まあ、こんな会話はこの世代にはよくありがちなことなので
気にしないこととしても、
見過ごせないのは、漢字の読み書き能力。
高校受験の真っただ中なので、
いちおう受験勉強らしきものをしているが
国語のプリントなどをチラ見すると、
漢字の読み書き部分が特に撃沈!
本人は「みんなこんなもんだよー」とへらへらしている。
「タカハシなんかね、この前、図書館で『蹴りたい背中』を見て、
『けりたいハイチュウ』って読んだんだから!」と、ゲラゲーラ。
その数分後、勉強にもあきたのか、年賀状を書き始めた。
と、思いきや、携帯でなにやら打ちながら困った顔をしている。
「これ、おかしい。ちゃんと変換しないんだよ。
漢字がびみょうにわかんないから調べてんだけど」
「何の漢字?」
「ぎんがしんねん の、ぎん。難しい漢字じゃん?」
銀河新年!
さすが、かつての神童はスケールが大きい。
宇宙的スケールで考えれば、
「き」も「ぎ」も、コザルからヒトへの成長の度合いも、
ストーカーもスニーカーも、ちっぽけなどんぐりの背比べ!的な?
どんまいベイベ、細かいことは気にしないでいこう。