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秋田音頭2019バージョン

母親が、民謡と三味線を演り詩吟の教室を開いていたということもあり、近年、そのあたりに回帰している簑田です。民謡で歌われる「言葉」には、固有の土地ならではの「価値観」も見えてきて、学ぶこと多し!(写真は『唄めぐり』石田千・著 新潮社)。最近のマイブームは、秋田音頭。通勤時のお供CD民謡大全集2枚組でもついついラップ的にくちずさんでしまう。めっちゃいいですよね、
通勤途上、車の中では、CDにあわせて「2019バージョン」で歌っております。

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福島から
辺野古の海を連れてきた

画:ヒロカネフミ

震災後、しばらくは音楽を聴くことができなかった状態からようやく抜け出し、とにかく、ライブに行こう!とチケットを取ったのが2011年のタテタカコ「Harkitek or ta ayoro」ツアー。たしか4月末くらいの渋谷PLEASURE PLEASURE。福島に想いを寄せるタテタカコという表現者が発する、声も音も空気の震えも素晴らしく、小柄な彼女が、ステージの上でとても大きく見えていた。
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藪の中のオオカミらしきものへ会いに行く。

2014年に行っていた益子の風土調査で訪れていた大羽の御嶽神社へ。
当時も多少は荒れた感じはあったが、久しぶりに訪ねた神社は、廃墟のように荒れ果てていた。しかし、拝殿に上がる階段さえも枯れ草や枯れ枝で覆われ、人の手が入らなくなった山の斜面のようになっていても、竹が拝殿の屋根を突き破ろうとも、オオカミの(ようなものの)姿は、4年前と変わらず石灯籠の中に、輪郭もくっきりとあった。
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退行感覚

我が家の老犬は、去年まではできたことが
ひとつずつできなくなってきている。

そのひとつが、
ソファにひとっ飛びに飛び乗ること。

もうひとつが
自分のトイレで(大)をすること。

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関係性について 
高橋恭司展、終了

ヒジノワ高橋恭司展
思い出には色や形そしてにおいはあるのだろうか

9日間の展示期間でしたが「ここを目指してきた」という面持ちの実に多くの方にご来場いただき、本日24日に閉会しました。鷲尾和彦さん(博報堂クリエイティブプランナー・写真家)を聞き手に迎えて開催した、22日の高橋恭司さんとの座談の会の内容については、またあらためて報告の記事を…と思います。

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これは東アジアのプライドの問題です

学ぼうと思う時、ドキュメンタリー映画を自宅で見る時、一時停止ボタンを繰り返し押しながら、ノートをとりながら、映像を見る。やたら、時間がかかる。しかし、映像から、歴史から、識者から学ぼうと思う時、そうしている。

2017年9月21日 日本時間未明、つまり国際平和デーのその日に、私たちの国の(一応)代表が、国連で演説をした。「北朝鮮に必要なのは対話ではなく圧力だ」と時間のおよそ8割を費やして、平和国家という立ち位置を(かろうじて、まだ私たちはそこに軸足をおいていたのに)完全に、捨てた。その記念すべき、アンピースフルデイに、ノートの1ページから、いくつかの言葉を書き写す。
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生きる上で大切なことは、
すべて私たちの憲法に
書いてある

5月3日は、憲法記念日。写真は、5月の麦畑と境界木のウツギ。今日は、みなさんは、どんな1日を過ごされたのでしょう。来年の今日は、どうでしょう。10年後の今日は、どうでしょう。50年後の子どもたちは、どうでしょう。日々、加速度的に「課題」が増え続ける世の中(と、私は認識しています)ですが、やはり、加速度的に、草の根的に、大切な人たちとの繋がりが、この季節の木々の緑の、たしかな生命力で伸びていく葉脈のように伸び、繋がり、重なりあっていくのを、感じています。ありがたいことです。
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ここにあるもの。

ひとつ歳を重ねた日の半日と、その次の日を、いま、ここにあるものを丁寧に見つけ出していく、という行為に使った。それは、庭仕事のこと。
山の麓の一角を自然を相手に間借りするつもりで、地主さんから土地を借り小さな住処をこしらえさせてもらって…2年と半年が過ぎた。この土地に巡り合ったときは、もう更地に戻っていたのだけれど、その2年ほど前までは、ここで40年の日々を過ごした家族がいたと聞いていた。最後の数年は、夫に先立たれたご婦人が一人で暮らし、長野に住む娘夫婦のもとへ移り住んだと。
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角煮を起点とする
言葉と本質の諸問題。

だれかが次に発する言葉、というものは、簡単に予測されるものらしい。

2012年に始まった、私のipad生活。メールで、「おね」と打つと、なぜか真っ先に「お姉さん」がでてくる時代があった。都内へ向かう湘南新宿ライングリーン車の中で「これから初めて会う人」に(もちろん仕事の)「それでは、本日よろしくお姉さんします。」と送ってしまったことがあった。この話はけっこうあちこちでしていたのだけれど「お姉さんチェンジ!」と追い返されることもなく
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私が私を
風化させないために。

2012年の3月11日に書いた文を、5年後の今日、再録します。

311 for myself(2012.0311Facebook投稿より)
…………
毎年中身を新しくして、もう10年は使っている手帳もずいぶんと色が落ちてきた。2011の夏、青森で貼った「頑張ろう東北」のシールは去年の暮れにはがれてしまい、プロジェクトFUKUSHIMAのステッカーも、半分ほどはがれそう。
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暗躍予定
石積み団!の巻

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

痛風ニモ腰痛ニモ筋肉痛ニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

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守るもの守られるもの

アルバムに残っていない、つまり時を経てから写真を見ることで追体験し記憶してきたわけではない古い記憶で、うすぼんやりと思い出せるのは、小さな水辺(たぶん小さな池)のほとりに作られた木造のお堂のような…そしてそこにあった、聖母マリア像。みんなとお揃いの小さな丸い襟の白いブラウスを着た私は手を合わせて「お守りください」とお祈りをしている。カトリック教の幼稚園児だった頃の記憶。小さな手を合わせることで得られる安心感。守られている。守ってくれる存在がいる。
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「宿題女王」

毎日毎日、担任の先生から出される宿題。
宿題なんてめんどくさいものは、無いほうがいいにきまってる。
だが、山田りりか(小三)の場合、
宿題は、青春のすべてを賭けるに値するものだった。
ごくごくありふれた、ふつうの宿題が彼女特有の思い込みによって、
毎回、はげしく脱線していく。
それでも、いつも先生のチェックは、クリア。
彼女は一度も宿題を忘れたことがない。
最高の内容を提出する、宿題女王なのだから。

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コトバの国のコザルたち3
「呼び方の件につきまして」

「今日から、ママって呼ばない!」

四月から高校生になった(漢字は書けなくても)長女が、
突然、こんな宣言をした。
たかが呼び方、されど呼び方。一応、抵抗を試みてみる。

「別にさあ、外では『おかあさん』とか『母は』とか、
使い分けができてるんだから、今のままでいいじゃん?」

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コトバの国のコザルたち2
「銀河系のストーカーブルース」

「ママが好きでも、まりなは嫌いなの!
ママとまりなの好きは違うの!」
3歳くらいの女の子が、スーパーのお菓子場で
母親に必死に議論をふっかけている。
どうやらどのお菓子を買うかで意見が分かれている様子。
まあ、よくありがちな昼下がりのスーパーでの光景だけど
それにしても、まりなちゃんの立派な論戦ぶり。

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コトバの国のコザルたち1
「コザルは騙して育てよう」

どうしてママは犬じゃないの?
どうして空はおっこちてこないの?
どうしてウサギはウサギなの?

コトバを覚え始めたコザルたちの素朴な疑問にどうこたえるか?
これがけっこうめんどうくさかったりするわけです。

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