ヒジノワ高橋恭司展
思い出には色や形そしてにおいはあるのだろうか
9日間の展示期間でしたが「ここを目指してきた」という面持ちの実に多くの方にご来場いただき、本日24日に閉会しました。鷲尾和彦さん(博報堂クリエイティブプランナー・写真家)を聞き手に迎えて開催した、22日の高橋恭司さんとの座談の会の内容については、またあらためて報告の記事を…と思います。
「何を」より「誰と」は、とても重要なことであると、鷲尾さんと高橋さんの、
しなやかでいて、それでいて濃密な(実のある)対話を聞きながら、あらためて思いました。関わってくださった皆様、ありがとうございました。
–
さて、2回の週末にヒジノワや他の仕事の合間をぬって、土祭2018の展示を少し回りました。数ヶ月前、とある作家さんに、「馬場さんは、展示の場所を
どのような考えで選んでいたのでしょうか?簑田さんには、どんな話をしていましたか?」と尋ねられていました。今年は、道の駅ましこの「土祭展」や、スターネット東京tane展などもありましたし、その問いかけは、私自身にとても必要なことでした。2012年の馬場さんとのメールのやりとりの記録を読み返すと、「関係」「関係性」という言葉がよく登場します。
「まだ益子とは関係が熟成していないので、一時保留にしたいと思います」
これは、ある作家を招聘するかどうかについて、馬場さんから私に送られたメールの一部。
「関係性」は、双方向の性格をもつ。土地に対して真摯に向き合うことで生まれてくる表現は、たしかに、その土地の姿(風土)を照らす。そしてその表現の形もまた、その土地(場)から祝福を受けるように照らされる。見る側にとっては、作品の「奥行き」が見えてくるのだと思う。(底が浅いものにはない、奥行きが)。その双方向の関係性が熟成してゆかないと、地域には、「なにも」還元されないのです。
tane展でのエディターネチームでの活動、道の駅ましこでの「土祭アーカイブ展」の組み立て、高橋恭司展での恭司さんや来場者とのやりとり・・・それらの経験を経てようやく馬場さんが口にしていた「関係性」の糸口が見えてきている。
写真は、駆け足で回った土祭2018より。
(田中望氏、古川潤氏、橋本雅也氏の会場で)