退行感覚
我が家の老犬は、去年まではできたことが
ひとつずつできなくなってきている。
そのひとつが、
ソファにひとっ飛びに飛び乗ること。
もうひとつが
自分のトイレで(大)をすること。
最近では、なにかしらの布が床に落ちていると
そこがトイレだと勘違いするのか、(大)をぽとんと。
老いることは自然の摂理で、退化ではない。
人はどうか。
時代の流れに、老いることを強いられていまいか。
出先の商業施設でトイレに入ると、
個室のドアを開けたとたん、突然、便器の蓋がパカリと開く。
用をすまして立ちあがると、
突然、勝手に水が流れて、(小)でも(大)でもきれいさっぱり流される。
(大)を通して、自分の健康状態を目視確認するひまもなく。
指差し確認するひまもなく。
自分の体の分身に別れを告げるひまもなく。
自分の手で便器の蓋をあけることもできず、
自分の手で自分の排泄物を流すこともできない。
技術革新という進化の中で、退行していく私たちの生。
昨日できていたことが、今日はできなくなる。
そのことよりも怖いこと。
昨日は気づけたことに、今日は気づけなくなることではあるまいか。