メインビジュアル画像

風土、芸能、民謡、そして非戦の祭り。


「八重山では、家を建てるときに、ヨイトマケでみんなで歌いながら地固めをして柱を建てた。輪になって、みんなで地固めをしながら歌いましょう。平和の大黒柱を建てましょう。至るところに・・・」「私たちの、心のお土産として持ち帰ってね。宮古(島)にも、沖縄(島)にも、ヤマトにも」
.
石垣島「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の山里節子さん(85歳)が、マイクを持って、そうお話してくれて、そして、会の参加者みんなで、地固めをして柱を建てる動作をしながら「安里屋ユンタ」を唄う。それが、3時間にも及んだ、民謡と芸能と、そしてそこに通じる、その土地土地の尊厳を守る「非戦」の誓いの祭りのフィナーレでした。
.

6月は22日から昨日まで石垣市にいました。
石嶺香織さん@宮古島にお声かけいただき、石垣島の「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」主催の戦争マラリア犠牲者の慰霊祭、そして、公民館で開催された、民謡、古謡、芸能とともに平和を祈願する車座集会の祭りに参加。
.
3時間にわたる会には、石垣市内はもとより、大阪、北九州、南三陸、福島、名古屋、益子(わし)などからも集う。八重山高校の郷土芸能部のOBや有志、カンカラ三線のいんやくりおさんなどなど、あっという間の3時間。
.
冒頭で紹介したシーンも含めて動画を5分弱にまとめてYouTubeにアップしたので共有します。ぜひ、ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=fiOtLXxtKZA
.
・慰霊祭のあとのバンナ公園での一コマ
・「豊年の唄(石嶺香織さん)」
・会の最後、山里節子さんの呼びかけで
 みんなで歌った「安里屋ユンタ」
・オマケ
.
石嶺さんの「豊年の唄」の前に話されたメッセージも、とても印象的でした。ご本人の投稿から転載させていただきます。
.
「豊年の歌は、豊作を願い、平和で豊かな世の中なることを願う、宮古島の民謡です。与那国島に基地が作られ、住民避難の話が出てきた中で、島に住む人が、種を植える時に、収穫できるのかなという不安が過ると話していました。今思うことは、今年も来年も豊作を願うということは、平和であるということです。宮古、石垣島、与那国、そして沖縄島から奄美までの琉球弧の島々が、今年も来年も再来年も平和であるように、唄います。」

バナー写真
石垣島の於茂登岳(おもとだけ)の麓を切り開き作られ、ミサイルが配備された自衛隊駐屯地を望む。近所の子供が、自転車に乗って、下り坂をさーっと駆け下り、それを楽しそうに何度も何度も繰り返していた。その子供の上に見える看板のようなものは、於茂登岳を示す絵が書かれたいたようだけれど、山の麓は地形も変わり、看板も破損し傾いていた。