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9月の閣議決定

9月に入りました。おはようございます。
本来であれば、国会審議を十分に尽くすべき案件のところなんでもかんでもさくっと閣議決定されてしまう昨今、そんなに軽い物なら我が家もしてみむとてすなり、閣議決定とやら。
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官房長官にはちゃんとしたお席も用意していたのですが、形式的なことを嫌う性分に加齢の影響もありますゆえ、このような形の画像になりましたことご容赦ください。かしこ。

7月9日にSNSに投稿した文章を貼っておきます。
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おはようございます。安倍晋三氏の訃報にお悔やみを申し上げたいと思います。
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申し上げます。と、断定しないのは、心情的にあまりにも「複雑」だからだ。この「申し上げたいと思います」という、文法的には適切ではない婉曲表現を用いてでも、このことをここに記しておきたい理由がある。
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「ひとの命は平等だ」という原理の前で、ここで「安倍氏」に対して「お悔やみを申し上げる」と断定しようとする際に、私の前に、私の頭や心の中に、名前を存じ上げない多くの方の「命」が立ち現れる。政治の不正や歪みに苦しみ、自死を選ばざるえなかった方々。防衛費増大の道へ進む一方で蔑ろにされる人間の安全保障。その社会の片隅で餓死状態で発見された独居老人または高齢者夫婦の方々。米軍の基地がなければ命を奪われることはなかった女性たち。外国人排斥のヘイトスピーチの憎悪の嵐の中で命が縮むほどの恐怖を感じているであろう方々。立憲主義の縛りをズル抜けズル抜けし続けて破壊されてきた社会で、いくつもの「奪われなくても良い」命が消えていった。
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命は、政治がもたらす社会の歪みに奪われてはいけなし、奪われた命も、恣意的に「利用」すべきでもない。断じて。.暴力や銃弾やテロを許さない決意と、これからもまた、おかしいことにはおかしいと、不正には不正であると声を上げる言論を守り実践する行為は、どちらも同じ地平で成り立つ、成り立たせるべきだ。