私が私を
風化させないために。
2012年の3月11日に書いた文を、5年後の今日、再録します。
311 for myself(2012.0311Facebook投稿より)
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毎年中身を新しくして、もう10年は使っている手帳もずいぶんと色が落ちてきた。2011の夏、青森で貼った「頑張ろう東北」のシールは去年の暮れにはがれてしまい、プロジェクトFUKUSHIMAのステッカーも、半分ほどはがれそう。
風化するとは、どういうことなのか。
忘れていくとは、どういうことなのか。
自分の存在が忘れ去られてしまう、ということは、
どれほどの「孤独」か。
さほどたいしたことではなかった、
ということにされてしまうということは、どういうことなのか。
ひとりひとりの、たしかに温かみをもって存在していた日々すらも、
犠牲者数という数字に、いつのまにか、ひとくくりにされていく、
それは、どれほどの「魂の孤独」か。
命を落としたひとばかりではなく、
「東電が」起こした原発事故で故郷を追われた人々の、
かつてそこにあった、日々も。
あの日は日赤での検査の日だった。
病院を出て益子に帰る途中で、あの揺れ。
揺れがおさまり、ヒジノワへ向かい、展示作品をチェック。
さほど被害も無いことに安心して自宅へ向かうと、
大きな掃き出し窓と出窓のガラスが割れて崩れ落ちていた。
窓からのぞくと家の中は倒れた家具やCDや割れたガラスが散乱し、
小さな茶色い家族が震えながら泣き叫んでいた。
半アウトドア状態になった家は、あまりにも寒くて、ぶっそうで、
その夜と次の夜は、小さな茶色い犬くんと 車の中で眠った。
キミは守るべき存在なのに、と、
寄り道せずに帰ってこなかったことをあやまりながら。
携帯Twitterとラジオで東北の状況を聞きながら、
私もまた、生まれ育った土地からずいぶんと遠くに流されてきて
小さな車の中で夜を明かしているという小さな孤独をかみしめた。
そして、二日目の夜には、1つの決意をしたはずなのに。
忙しさを言い訳に、私は私を風化させている。
いろいろと思うところはあるけれど、まずは自分自身から。
311は、もう一度、私が私を生き直す日。
2012,3,11記
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そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故から6年、
私がこの投稿を書いてから5年が経ちました。
年月が経ってわかってきたことがある。
自分自身を風化させないことは、
自分自身をフランチャイズ化しない、ということ。
動き続けながら、対話を続けながら、確信をしたことがある。
政治の右傾化への抗議も、再稼働反対の声を上げることも、
ヘイト(差別主義者)へのカウンターも
椅子の買い替えを先延ばしして行う沖縄へのカンパも
若い世代への声援も
違憲訴訟の原告であることも
すべて、根っこは、私の中では繋がっている。
私やあなたの個々人の尊厳を取り戻す、ということ。
2017.0311