はじめに・・・
元・宮古島市議会議員で染織家の石嶺香織さんが、産経新聞に対して名誉毀損で訴えた訴訟を支援する会の発起人を務めています。石嶺さんとの交流については、このウェブサイト内の、こちらの記事をお読みください。
>>未来に繋ぎたいものは? 宮古島と益子を結んで
2023年2月に判決言い渡しがあり、その裁判についてのレポートを石嶺さんを通して『市民の意見』誌への寄稿を依頼されました。掲載の196号が発行され、編集部の了解を得ましたので、ここにも全文を掲載します。
その前に・・・・『市民の意見』とは?
市民の側からの政策提言の意見広告を新聞紙上に掲載する活動を続けている市民団体「市民の意見30の会」の機関誌です。以下、ホームページから転載させていただきます。
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非暴力と民主的社会実現を目指す30項目の政策提言の意見広告を1989年1月16日の『朝日新聞』紙上に掲載し、その実現を目指して活動している不偏不党の市民グループです。米国のベトナム戦争に反対して1965年に発足した反戦平和市民団体「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の流れをくみ、「殺すな」をスローガンに、強者による政治が支配している日本を変え、人びとが平和に、安全に、平等に、健康に、人間らしく生きられる国にしようと努力しています。(転載終わり)
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続きを、そして機関紙である『市民の意見』のご購読など、ぜひ、こちらを読んで、ご検討ください。https://www.iken30.jp/about/
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『市民の意見』196号(2023/4発行)
石嶺香織さんへの名誉毀損 産経新聞社との裁判レポート
「支援する側」に問われること
2023年2月28日。40席が用意された東京地裁522法廷の傍聴席は満席に近い状態であった。産経新聞社のインターネット上のニュースサイト「産経ニュース」に掲載された記事が名誉毀損に当たるとして、元沖縄県宮古島市議の石嶺香織さんが産経新聞を訴えた訴訟(提訴は2020年9月23日)の判決の日。原告席には、石嶺さんと神原元弁護士。被告席には、産経新聞社の弁護士の姿は無く、記事を書いた半沢尚久記者の姿も傍聴席に無い。落ち着かない気持ちで始まりを待つ。開始時刻をほんの数秒すぎたところで裁判長が入廷し着席したと思いきや、早めの口調で一気に主文を読み上げる。結果は、勝訴。東京地裁は、基本事項を欠いた取材により書かれた記事は事実ではないと認定した。今もネット上に残る記事の削除と、原告に対して11万円の支払いを命じる内容であった。
裁判に至る経緯と、その背景としての琉球弧の島々で進められる軍事化ついては、本誌2/1発行号に石嶺香織さんの「デマの向こうで戦争が始まる —宮古島から見えること」と題した寄稿が掲載されている(読まれていない方は是非バックナンバーで)。この稿では、裁判活動を支える「石嶺香織さん支援の会」発起人の立場から、判決内容を報告し、若干の考察を加えたい。
SNS社会で拡散される捏造記事
提訴から2年と5ヶ月。問題の記事は「自衛隊差別発言の石嶺香織・宮古島市議、当選後に月収制限超える県営団地に入居」の見出しで、石嶺さんが宮古市議会議員であった2017年3月22日に掲載されている。記事の要旨はこうである。—自衛隊に関するS N Sでの発言について市議会から辞職勧告が出された石嶺氏が、1月の市議補選後に県営団地に入居していることがわかった。県営住宅の申し込み資格の月収額を上回る市議の報酬を得ているにもかかわらず、当選前の年度の所得に基づき、2月に入居した。仲介業者は、石嶺氏に、市議の収入は資格基準を上回るため入居するかどうか確認したが、石嶺氏は『住むところがないので1年だけ入居させて欲しい』と答えた。
紙の新聞と違って、インターネット上に掲載される記事は、読者によってあっという間に拡散されていく「仕組み」が用意されている。どの新聞社でもそれぞれの記事にSNSなどのボタンが表示され、読者はそこをクリックすることでの自分のアカウントで手軽にその記事を紹介できる。特にTwitterに関しては、他のユーザーがどのようなコメントをつけてシェアをしているかを手軽に見ることができるように、例えば産経ニュースの場合は「みんなの反応」、朝日新聞デジタルの場合は「list」というボタンが用意されている。この石嶺さんに関する記事も、SNSや個人のブログであっという間に拡散され、特に、匿名での開設が容易なTwitter上では、「反日」という2文字に象徴されるような誹謗中傷の嵐が吹き荒れ、やがて10月22日に投票を迎える宮古島市議会議員選挙に向けて「#石嶺香織落選選挙」(原文ママ)というハッシュタグで落選運動を呼びかける投稿も続いた。
石嶺さんは大手紙が発した1つの記事によって「県営住宅に不正に入居している議員」であるというレッテルが貼られ、そこには枕詞のように(自衛隊に関する石嶺さんの発言の背景への理解もなく一部を切り取った上での)「あの自衛隊差別発言の」というフレーズが付いてまわり、リアルな宮古島での日常でも、いやがおうにも見えてくる自分を取り巻くネット空間の中でも、実害も含めて絶え間なく苦痛を受け続けることになった。仕事や活動の支障となり、家族にとっても大きな痛みとなった。その受苦の日々への想像力を働かせながら、判決文をもとに、この裁判の社会的な意味、つまり私たち「市民」にとっての意味を考えていきたい。
裁判の争点と東京地裁の判断
争点は以下の6項目とされた。⑴本件記事の公開により、原告の社会的評価が低下したか ⑵本件記事の公開に係る真実性の抗弁の成否 ⑶本件記事の公開に係る真実相当性の抗弁の成否 ⑷損害の発生及びその数学 ⑸消滅時効の成否 ⑹本件記事の削除の可否
争点⑴においては、東京地裁は、当記事内容について<一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすると、原告は適法に入居資格を得ていたものと理解することは困難>であり、<県営住宅に係る定めに反する行為をしていると理解されるもの>とし、原告の社会的評価を低下させるものと認定した。
争点⑵においては、まず、記事の「県営住宅の月収制限を超える政令月収を得ているにもかかわらず入居した」との内容について確認がなされた。入居申し込み資格の月収基準額を、記事は15万8000円以下としていたのに対し、東京地裁は、沖縄県の条例(県営住宅の入居に関する法令の定め)に基づき、入居申し込み当時の原告世帯には未就学児がいたことから、裁量世帯としての基準額である政令月収21万4000円が基準となるとし、同条例の定めるところにより原告世帯の政令月収を計算し、その基準額を超えていないことが明らかにされた。次に、記事の「県営住宅入居当時である平成29年において、入居の月収制限を超える政令月収を得ている」との内容について確認がなされた。まず、前述の条例に照らして、<入居時である平成29年度における原告世帯の収入を考慮することは、それ自体謝りである>とした。また、東京地裁は、条例に基づく算定により<平成29年における原告世帯の所得金額を踏まえて計算した政令月収は19万1168円であり、裁量世帯の基準額21万4000円を超えない>とした。このように、原告側の主張を全面的に認め、<本件摘示事実の重要な部分は真実であるとは認められないから、本件記事の公開に違法性がないとして不法行為を構成しないとはいえない>と結論づけている。
争点⑶においては、記事内容について、被告の側に真実と信じるに相当の理由があったか否かという「真実相当性」が争点となった。名誉毀損の裁判の場合、真実相当性が認められれば、行為者(被告)の故意又は過失は否定され、不法行為、つまり名誉毀損が成立しないという判決の前例があるとのことだ。本件においても被告である半沢記者の取材手法やプロセスについて、提出されていた取材ノート等をもとに検証がなされたが、石嶺さん本人への取材も行わなかった半沢記者の取材は<基本的な取材事項の取材を欠いた不十分なものであったというほかない>とし、真実相当性は認められていない。
争点⑷⑸については紙面の都合上割愛するが、争点⑹の記事の削除の可否について東京地裁は、<本件記事は、現在に至るまで継続してインターネット上に掲載されて入り、原告の人格権が侵害され続けているものといわざるを得ないから、被告に対し、その削除を命じるのが相当である>と結論付けた。
問われるべきは、私たち。
判決が言い渡されてから、新たな宿題を言い渡されたかのように、この裁判が持つ社会的な意味をずっと考え続けている。石嶺さんの弁護人である神原元弁護士は、判決言渡後の記者会見と報告会で、他の係争中の裁判事案の例もひきながら「沖縄差別であり、民主主義の根幹を歪められている、とんでもないことです」と語っていた。石嶺さんは記者会見で、「沖縄に関しては、フェイクニュースや誹謗中傷が続いているが何か連帯のメッセージがあれば」との質問に答える形で、「沖縄に対して何を言ってもいいという風潮がどんどん出てきていると思う。だからこそ、沖縄の基地問題や軍事化に抗う声をあげることに対して、差別発言や誹謗中傷やデマを流すと、法のもとに罰せられますよ、という事例をきっちりと作って積み上げていく。それが大切だと思う」と語った。
あらためて強く思う。石嶺さんの訴えは、「個人的な」名誉毀損の問題にとどまらない。本土からの沖縄差別。軍事化に反対の声を上げる市民への口封じ。女性差別。この3つが重なり合う構造的な差別の問題ではないか。沖縄には何を押し付けてもいい。軍事化に反対の声をあげる者は非国民、何を言ってもいい。女性の発言は軽んじていい。生意気な女性は潰してもいい・・・。その空気を生み出し、容認してきた日本社会、つまり「私たち」の問題なのだ。
また、今回の記事に対して「思い込みで書かれた記事」「基本的な取材を怠った記事」とする見方もあるが、それでは問題の本質を見えなくしてしまう。この裁判が、原告の石嶺さんのプライベートな問題の範疇を超えているのと同じように、記者としての資質や姿勢の問題にとどめてはおけない。このような捏造記事を許しているのは誰なのか、書かせているのは何なのか。やはり、その視点からも問われるべきは「私たち」ではないのだろうか。
なかなか難しい課題ではあるが、裁判の経緯を振り返る時に、判決が出た日に会場を参議院会館に移して開いた報告会の光景を思い出しては、エンパワーメントされている。裁判の報告会としては異例かもしれないが、そこには、裁判のことを子どもたちにも伝えておきたいと家族6人で上京していた石嶺さんの子どもたちの姿があり、そして報告会の最後には、三線の音にのせた石嶺さんの唄声が会場に響いた。裁判の背景にある宮古島の歴史や現状を、宮古民謡を通して伝えたいという石嶺さんの考えで、報告会の中に組み込んだ。宮古民謡の歌詞には、支配者からの差別や抑圧の影が色濃く差し込んでいる。それでも自然界の美しさに心を動かされながらたくましく生きる民衆の唄だ。当日、石嶺さんが唄ってくれた「豊年の歌」の歌詞で繰り返された「世や直れ(ゆうやなうれ)」。「弥勒世(みるくゆ)ぬ実らば 世や直れ」という歌詞について、石嶺さんは「農作物が豊作で、生活がうまくいくように、平和な世になるように」という祈りの唄だと解説してくれた。石嶺さんの唄には、会場の、宮古民謡の笛の奏者でもある支援者と、そして夫の勇人さんから「サーサー」と合いの手が飛ぶ。4人の子どもたちも(聞いていないようで)聞いている。未来を生きる子どもたちのために、私たちは諦めることはできない。支援する側、支援される側。その境界線を超えて今の時代に生きる「当事者性」をあらためて自覚すること。そこから学び直していきたいと思う。
本文中の<>箇所は全て、本件の判決(東京地裁 令和5年2月28日判決言渡)からの引用である。
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追記1
石嶺さんは、判決の一部を不服として3月8日付で東京高裁に控訴をしたと、16日に宮古島市内で開いた記者会見で発表した。不服としたのは、提訴日の2020年9月23日から3年を遡り、2017年9月23日より前に発生した損害については賠償請求権が時効により消滅しているとする東京地裁の判断。記事が出た 2017 年3⽉ 22 ⽇から9⽉ 23 ⽇までの、⼀番被害が⼤きく深刻だった時期の被害が時効で消滅したとされた。⽯嶺さんは「ネット上で公開された⽇からずっと被害は続き、時効が消滅したとされる期間に拡散されたデマや誹謗中傷は今もネット上に残り、読んだ⼈の記憶も消せない」と語っている。
追記2
東京地裁および宮古島市での記者会見の石嶺さんの会見全文は、インターネット上の石嶺さんの「note」で読むことができる。るhttps://note.com/timpab_kaori
(みのだ・りか/私たちは声をあげる 石嶺香織さん支援の会)
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報告会の告知ビジュアル