メインビジュアル画像

石塚明由子セカンドアルバム
「道なり」に寄せて

アルバム発売の特設サイトに文章を寄せました。

2016年の益子での出会いから5年。
2018年にプロデュースした「ましこのうたDVD&PHOTOBOOK」から3年。
シンガー・ソングライター 石塚明由子さんのセカンドアルバムが、
今日、2021年8月31日に発売となった。
特設サイトを作るので、そこに掲載する文章を書いて欲しい。
そんな依頼が来たのが、1ヶ月前の7月30日のことだった。

明由子さんは、音源と全曲の歌詞のテキストを送ってくれて、
私からは、文章のテイストの希望と、特にどんな人たちに伝えたいのかを尋ねた。
締め切りは1週間後。
課題図書を与えられて感想文を書く生徒の気分だ。
.
面白い本には、ただ面白いと書くしかない。
悲しい本には、ただ悲しいお話でしたと書くしかない。
主人公の気持ちがわかるなら、ただ主人公に共感しましたと書けばいい。
.
だけど
すんなり、あっさり、共感できるものほど、すぐに飽きる。
それは私に何ももたらさない。
表面だけをなぞってわかったつもりになってもねえ。

『道なり』には、表面的共感をさらりとかわす、
小さな微かな違和感の突起が、ところどころに仕込まれていた。
口当たりのいいチョコレートの中、ところどころに
カリっと噛むと、はっと、どこかの感覚が開くような、
例えば、岩塩のつぶつぶのような、突起。
天然の、透明で氷のような宝石のような、小さなツノ。
.
そんなつぶつぶを噛みしめながら、紹介文を書いた。
散文のようなその文章は、感覚的に書いたものではなく、
実は、ロジックを組み立ててから構成している。
その種明かしをここでするほど野暮ではないけれど、
特設サイトだけではなく、ここにも掲載するほどには野暮なので、
一番下に掲載します。どうぞここでもお読みください。


アルバムに収められた歌はどれも、
5年後も10年後も、ずっと私の日々の心の機微とともにあると思います。
表現や文化と呼ばれるものは、経済中心の世の中では、とても弱い存在。
だからこそ、
友人の有機農家から野菜を求めるように、
フランチャイズではなく、小さいけれど直焙煎の珈琲店で豆を買うように、
マーケテイングから始まるメジャーレーベルの商売にはそっぽを向いて
手から手へ、
心のドアから心のドアへ、
個人から個人へ、
葛藤や焦燥や希望や意志とともに届けられる歌とともにいようと思う。



聴こえてきます。
何十年もの時を超えて、
あの日、小さな女の子だった
私の心が震える音が。

聴こえてきます。
これから先の、いつかの日
かすかな風にも吹き消されそうな
私のいのちの灯火の、ゆらぎの音が。

聴こえてきます。
それでもなお、それでもまた、
前を向いて歩む道の上で、
私の心が、軽やかにワルツのステップを踏む音が。

石塚明由子の歌の世界に、
私がいる。
彼女がいる。
あなたがいる。

 “この世のことは、すべて忘れて”

.
現世から旅立つ大切な人へ、
そう伝える彼女の歌に、私はとまどう。
とまどいは、やがて涙に変わり、
羊水のようにぬくもりをまとって私をつつむ。

この世のことは、すべて、歌。

ふるえる音も、ゆらぎの音も
すべてすくいあげて、言葉と音で歌に編む。

ふるえ、ゆらぎ、歩み続ける、すべての人へ。
石塚明由子 セカンドアルバム「道なり」の世界を。


https://ayukoishizuka.com/