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展覧会に添える言葉 
八溝の双子

2017年 展覧会パンフレットへ寄稿

渋谷ヒカリエ8/で開催された笠間と益子の作家40名あまりの展示販売会、「GO KASAMASHIKO via TOKYO」(企画制作BAGN Inc|20170216−0222)へ、ご依頼を受けてパンフレットに文章を寄稿させていただきました。本日、会期も無事に終了したとのことで、クライアントさんの許可を得て全文を掲載します。

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八溝の双子
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春の気配、というよりは少し手前の「春がそろそろ動き出しそう!」という空気を、毎年まっさきに感じる道がある。「山笑う」という春の季語のことを(こちらの口角もニコっと上がりながら)、思い出させてくれる山沿いの道がある。

茨城/栃木の県道1号線。焼き物の産地、栃木の益子と茨城の笠間を往来する道だ。道に沿って谷津田が細く続く。その谷津田の向こうには低い雑木の山並みが続く。仏ノ山と名付けられた峠を一つ越え、片道30分ほどのドライブ。その道は福島県白河市の南部に始まり、茨城県と栃木県の県境を関東平野に向かってのびる八溝山地の南部に刻まれた、細い谷筋に沿う。

土の手仕事を生業とする人が多く住む益子と笠間は、八溝山地が、自らの西の麓と東の麓に桜の赤い実のように振りわけて自らの風土から産み落とした双子−ヤミゾ・ツィンズ−のように、そこに在る。

もちろん歴史的事実から言えば、信楽の流れを汲んだ笠間焼の始まりが、笠間焼の流れを汲んだ益子焼の始まりより約百年早いわけなので、双子ではない。もちろん笠間には笠間の、益子には益子の、歴史があり、土があり、釉薬があり、スターが居た。けれど百年ほどの年の差は、八溝山地が生まれてからの年月を思うとあって無いようなものだし、そして何より平成の今、それぞれの気風はよく似て、お互いが呼応する感度も高い。ヤミゾ・ツィンズの似た気風は、何と言っても、いい意味で「個」が立っている、ということだろう。陶磁器の産地としてはまだ若く、個人作家にとって風通しも良い土壌だった経緯もあり、個々の作り手が、自由に、のびやかに(もちろん葛藤や悩みも抱えながらも)、そして意志的に、ものづくりを続けている。

お互いが呼応する感度は、特に、登り窯や細工場の倒壊など大きな被害を被った東日本大震災以降に高まった。それまでにも、「かさましこ」という言葉を初めて使った、焼き損じの土を再利用する実験集団「かさましこ再生土の会」や、韓国の陶芸家との交流展の実施など、笠間と益子の作家が共同で立ち上げたプロジェクトがあった。震災後は、SNSを活用して、お互いの被害状況や復興への道筋を共有しあい協力しあい、それまで以上に、小さくてもユニークなコラボや、作家同士で企画する交流展などが、そこかしこで生まれている。

益子で作家のオープンアトリエが開かれたら、ファンに混じって笠間の作家も楽しみに駆けつける。笠間の作家の土瓶に合わせて、益子の彫刻家が真鍮の取っ手を作る。笠間の作家が益子の陶器市に出店を希望し、それを益子の作家がサポートする。たとえば、笠間の作家が提案した「台所」というキーワードのもとに笠間と益子の陶芸家や、近隣の建築家やクラフトの作家が集まり、新しい企画展を生み出す。そんな日々の、産地と産地の人と人との繋がりは
見えにくいものではあるけれど、地層のように幾重にも積み重なり、この土地の空気を多彩な色で豊かにしていく。

そして私やあなたが、笠間と益子を山笑う道で何度も往来し、人と土地、人と人との関係性の中から生み出されたものや、生み出す人、それを支える人や場所との出会いを重ねていくことで、私やあなたの暮らしも、その根っこから少しずつ健やかに豊かになっていく。

それぞれの産地の歴史とか特徴とか、笠間焼の定義とか益子焼の定義とかを比べながらの教科書的な予習は、まだ必要なのだろうか? 私もあなたも、ただ、このヤミゾの土地に立って、自分の目で見ることができるもの、自分の手で触れることができるもの、会って話すことができる人との出会いだけを信じればいい。自分が求める感覚だけを信じて、人の手で土から生み出されるものの力を借りて、自分の暮らしをつくることを楽しめばいい。

産地と産地、人と人の繋がりが、幾重にも重なり層となり、つくる人も使う人も暮らしを健やかに楽しめる土地。

都心から2時間。ヤミゾ・ツインズの理想のクラフト郷へ、ようこそ。

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この展示会は、栃木県・茨城県・笠間市・益子町という4自治体が連携し、国の地方創生加速化交付金を活用した
二大陶芸の産地である笠間と益子の包括的なプロモーションを展開した幾つかの事業の1つ、とのことでした。

企画制作のBANG Incのみなさんは、笠間や益子の作家さんたちとは震災直後(それ以前からも)のおつきあい。土地への理解や作家へのリスペクト、という共有の思いがあり、コンセプトも「GO」に象徴されるように明快だったので、書き手としても、書きやすい案件でした。

とはいえ、頭を抱えたこともありました。「笠間と益子の包括的なプロモーション」とのことですが、その2つの地域をどうブランディングしようとしているのか、そのことが、事業主体の全体企画趣旨から、見えてこないのです。

「笠間と益子の包括的なエリア」というのは、どのような土地だと定義されるのか?(されるべきなのか)どのようにブランディングされているのか?(されると良いのか) そんなモヤモヤを抱えながら「プロ」として自分に課したのは、「笠間と益子の包括的な」と、謳い文句にあることの意味を、「解き明かす」、そして、「伝える」ということです。ただ、それは、「私」が文にしたのではなく、2009年、そして震災直後から、繋がって、さまざまな活動や交流をともにしてきた笠間と益子の作り手のみなさんが「書かせて」くれたものです。

このエッセイは「土地と人への敬意」の「表現」であると同時に、地方創生関連助成金事業の「進め方」への「提言」でもあるのです。