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祭り、踊り、祝福を

大口ノ純の伝
篠笛 埼玉県越谷市

大口ノ純(猪純) 

切腹ピストルズ篠笛隊員。生まれも育ちも埼玉県。





二〇一八年十月二十一日、日光市の大谷川公園で開催された「アースデイ日光」。

広場で始まった切腹ピストルズの演奏。その後半、猪純さんが笛を片手に、見物人の中へ躍り出てくる。野良着に菅笠、軽やかな足の運び、手の動き。逆光の中に映ったそのシルエットから、一瞬にして目の前に江戸時代の農村地帯の風景が広がる。田や畑で、腰をまげて作業する農民たちも、純さんが踊りながら畦道を進む姿を、顔を上げてにこやかに目で追っている。








なかなか収束の光が見えないコロナ禍の中で、車で移動できる範囲での聞き書きを続けようと、越谷の猪純さんに連絡をとってみたところ、「半田屋で昼ごはん食べましょう!」と相成りまして。七月三日、MIXCLOUD「俚謡山脈」を聴きながらホーハイホーハイ(ホーハイ節)と向かった先は、川越の半田屋でございます。最初は越谷の半田屋でのお約束でありましたが、取材日の直前に「悲しい!!半田屋、閉店しちゃいました、、川越にはあるんすけど」との悲報が届く。半田屋は仙台発祥の定食屋さん。おかずの種類が多くて安くて、お米自慢のお店でご飯もおいしい、「お腹いっぱい食べて幸せに」という理念のお店らしく、埼玉経由で移動する際は切腹隊員もよく利用したとのこと。それはもう川越店に行くしかないですね!・・・というコトの次第。

それぞれに好みのおかずをお盆にとって(純さんは簑田の二倍強)、この春以降、どんな毎日ですか?というお話から。


 


おいぬ様の山で

疫病退散祈願


六月二十一日にライブ配信された、青梅市の武蔵御嶽神社での奉納演奏が、久しぶりの活動だったと思うんですけど、四月以降はどんな日々を過ごされていましたか?



快適に過ごしていました、あはは。コロナ前は毎週末のように予定が入っていて、そのときは多分、元気なんですよ。でも、あんまり続いてると・・・、切腹って自分たちで強制的にハレ(註一)の日を作っちゃうようなもんじゃないですか。そうでないケの日、普段の仕事(註二)の生活に戻ってからのケの具合がハンパなくなってきます。ケが生えちゃうわぁ!みたいな(笑)。ケーぼうぼうになってくるんで(笑)、ちょっとホッと一息みたいな、そんな感じはありました。もちろんコロナにゃ、いろいろと考えさせられる事もありましたよ。いっちょ前に、あはは。



それでこの前は、切腹としたら活動再開する一発目だったので、うちらの大好きな大口真神さん(註三)を祀られていて、ご縁のある御嶽神社(註四)で奉納演奏させてもらえたら、って事でお願いしたら快諾いただいて。神社では疫病退散ということで神主さんに祝詞も上げてもらったんですけど、その祝詞もすごい攻めておられて(笑)、とても良かったんです。奉納演奏ではその祝詞をあげていただいた神主さんで、雅楽奏者でもある橋本さんという方が、笙(しょう)も吹いてくれて、もう贅沢すぎ(笑)。橋本さんは、神主さんでもあり御師(おし)さんでもあるんです。御師さんは、神主として神事もされるけど、江戸の頃から下山して信仰を広める布教活動もされていた人たち。お伊勢参りを流行らせたのも伊勢神宮の御師さんたちですよね。


あ、以前読んだ『オオカミの護符』(註五)に出てきました。信仰で結びついた人のつながり、講(こう)でしたっけ、村々の講を回ってお札を配ったり、お参りのお世話をしたりするんですね。


そうそう、それが御師さん。関東のあちこちに御嶽講は広まっていて、秩父の三峯神社の三峯講もそうだけど、狼信仰は残ってます。狐憑きの特効で、幕末の頃には黒船だのコロリだのって、まさに疫病だののせいで狼信仰大フィーバー!だったって話です。講中から毎年、みんなの代表者が山に登って神社に詣る。それがすごく楽しかったようで。昔は歩くしかないし、遠いし、周りの人は「行ってらっしゃい、大変だけど頑張ってね」という感じなんだけど、実は山へ来ると、そこは賭場に花街、娯楽の宝庫(笑)。御嶽というのは本当に山の上の里なんで、治外法権。物見遊山で、そりゃちょー楽しみだったらしいですよ。



今もね、いいんですよー、御嶽の里。今でも治外法権の匂いがする、あははは。宿坊をやっている方は、ほぼ皆さん神主であって、御師さん。講の人が山に参拝に来た時に、御師さんが泊めてあげるじゃないですか。それがたぶんそのまま宿坊になって。雅楽も、笙(しょう)に龍笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)だったり、できる方が揃ってる。住んでる人たちもみなさん普通に神社が好きで関わりがあって。神社本庁に属してないとかも大きいのかな、とも思うんですけど、なんて言うか里全体が神社を中心に優しいっていうか、やわらかい。昔ながらの神社と氏子、大衆との関係性が残ってるみたいな・・・。ともかくいいんですよ!(笑)。そんなわけで、うちらみんな大好きです。




もともと笛って、

自然と遊ぶためのもの


奉納演奏はYouTubeで配信されたので観ました! じゅんさんの笛、すごく響いて綺麗に聞こえてきましたよー。


いや、ひどかったですよ(笑)。久しぶりだしマスクだし、なんで笛ってこんな繊細なの? 全然音が出ねえんじゃねえのって思って、はははは。マスクして吹くって、なんか笛にも失礼な感じがしたなぁ、ちょっとだけ。ともかく自分がへぼかったです(笑)。まあ元々笛吹けないんですよ。吹けてないんです、ふふふ。ほんと全然へったくそ(笑)。


純さんは、切腹ピストルズではどうして笛に?


切腹のみんなはもともと友だちで、たまにライブ見に行くこともあったんですけど、今の和楽器の形になって初めて見に行ったときに、太一君(天誅山太一・平太鼓隊長)が演奏中にすごくいい顔で笑っていて。それまで見てきた時とは違う表情がもう衝撃的で。一緒にやってみたいって思わせられたんですよね。最初はただそんなだったです。それで、太一君に「踊り、どう?踊り、要らない?」みたいなことを自分から聞いたら「踊りはいらない、笛がいないんだよ、笛」って返されて、マジか、、、って。「おれ、楽器は本当にできないよ!」みたいな(笑)。だけど、もうとにかく一緒にやってみたかったんで、なりふりかまわずな感じで笛に手をだしてしまいました(笑)。



笛も太鼓も、オリジナルの楽曲を作る時って、特に誰かが曲を作って、それをみんなで練習して・・・というスタイルではなさそうですよね?







そうですね。スタジオでお稽古しながら、ここをこうしようああしようってみんなで決めていって、笛はどんながいい?こんな感じは?って吹いてみたり、ですね。例えば『狼信仰』って曲の場合は、祇園祭のお囃子っぽいのとかもいいなと、ヒロ君(飯田団紅・総隊長)が初めから言ってくれていたんで、さらっとああいう旋律になったり、という事もあります。


さらっと、とはいえ、一度聴いたら心に残る、印象的な旋律ですよね。祇園祭のお囃子ね、なるほど!


お囃子って、笛の初心者にもやさしいんです。運指、指の動きがやさしくできているんです。ピーヒャラピーヒャラってすごく指を動かしてるように聞こえても、自然に動きやすいっつうか、押さえやすいような指の動きになってる。だって、笛も太鼓も、お囃子や神楽をやる人は、農家のおっちゃんだったり、その辺の普通の兄ちゃんだったり、音楽家とかなわけじゃないから。大衆のためのものですもんね。


だけど、ドレミで作られている音楽といわれるものたち。音楽になると運指がね、こっからなんでこっちいっちゃうの?みたいにすごく難しいの(笑)。たとえば、出囃子でちょっと「ハットリくん」やろうとか(笑)になってやってみようとしても、ドレミファソラシドからできている音楽というのは難しい。急に「ハットリくん」なんか吹けない(笑)「鳩ぽっぽ」ですら難しい!とゆう、まあそんなことを初心者で笛を始めて、身をもって知りました(笑)

切腹の楽曲は、基本はお囃子。だけど、音楽のほうも求められる事があるので、今でもちょー苦戦します(笑)笛って、たぶん本来は合奏するものでもなくて、ひとりで勝手に吹いてたものだと思うんですよ。いま自分たちが使っている笛は、唄用というものでドレミファソラシドがあるから、それに合わせてちょっと穴の位置をずらしたり穴の大きさがまちまちに作られている。でも、古典調という笛は、そういうのではなくて、ただ、本当に均等に穴が空いてるだけ。それも持ってはいるんですけど、合奏はできないんですよ。一本一本笛の音が全然違うんで(笑)。だから、もともとは笛ってたぶんそんな感じで、合奏には向かない。やるとしても、笛は一人で、そこに合わせて鳴り物がのっかってくるような感じだったんでしょうね。



あと、笛って自然と遊ぶものでもあった気がする。尺八がもろ、そんな楽器なんですけど、笛も近しいものを感じます。あ、尺八の事はいずれかっちゃん(野中克哉)にお聞きください、ふふふ。山の中とかで笛吹くと、鳥が答えてくれたりするんですよ。山っつうか、林の中で、トゥルルルって笛吹いてると、鳥が答えてくれたりするので。いや、本当にそうっすよ。ピピピって鳴きます(笑)。日本の楽器って、もともとそういうところがあると思う。神事、祭りなど儀式目的と、プラスちょっと自然と遊ぶもの。音楽のものになったのは明治以降の話で、それまでの笛とかのあり方って、今とは違うと思う。




切腹ピストルズに参加する前に、久坂さんと組んでいたバンド「狂乱」のときは何か楽器をやっていたんですか?



歌です。ボーカル。楽器できないし。小学校のときから音楽は一とか二みたいな。五段階で。ほんと全然、何にも、いやもう今でも音譜とか読めないし、コードとか言われても分かんないです。


ギター弾きてぇ!みたいにはならなかった?


なかったですね。十六の頃かな、十七かな、パンクバンド始めたの。バンドに憧れて始めたとか、そんなの一切なくて、ただ、世の中への怒りをぶちまけたいっていう、それが動機でしたから。


実感って、やっぱりその時にしかないと思うので、あんまリアルに思い出せない部分もあるんですけど、とにかくなんかもう世の中は基本みんな敵だと思っていたから。あははは。全部敵っていうか、なんでしょうね。その頃のおいらは、ほんとに人間的に嫌なやつだし、嫌なやつというか、救われない子でした。だから、その頃、ひでろう(久坂英樹・平太鼓・註六)がいてくれたのは救いだったと思います(笑)。完全にそれが自分一人きりだとしたら、もっとよくない方向に行ったかもしれないけど、そんな気持ちが通じる人間がひとりでもいてくれたおかげで、自分ひとり内側で暴発するんじゃなくて、外へぶちまける方へすんなり行けたんでしょうね(笑)。


小学生、中学生の頃はどうでした?


小学生の頃は、ただの悪ガキです。高学年になると親は何回も呼び出されたりして、迷惑はかけたんだと思います(笑)。中学に入ると、悪ガキ友達とは学区が違って別れちゃったから、すごい真面目にやってました。根はまじめということです(笑)、中学でひでろうと出会って同じクラスになったこともあるけど(笑)、中学の頃って、同じ部活のやつと仲良くなるし、ひでろうは野球部で、おいらはバスケだったから、その時はまだ、ただのクラスメイトって感じです。高校は、どっちも越谷市内のふつーの公立高校に行ったんだけど、別の学校で。ひでろうは一年の一学期でやめて、おいらは、追試も受かって三年に上がるとこまでは続いたんだけど、結局つらくて、やめちゃった(笑)。人の話、聞かない奴だったんだけど、自分の話も人に通じないって思っていたんで。今思うと、当時の自分はちょっとかわいそうな感じです。今のご時世だったら、病院とか連れてかれたら簡単に名前がつきそうな・・・、ふふ。でも、せっぷくの連中なんて今現在、連れてっても名前つきそうな子いますからね(笑)。ぱっと数名思い浮かんじゃう、あはは!





自分以外の全てが敵。

そういうふうにしか生きられない奴が、

パンクだと思ってた。


パンクを聞き始めたのは高校になってから。中学のバスケ部で一番仲よかったやつから「ひでろうっていたじゃない?あいつも実はパンク好きなんだ」って話を聞いて、そっからですね。ひでろうと一緒に遊びはじめて、意気投合して。当初まだかわい気のあった自分らには他にも仲間はいたんだけど、結局おいらとひでろうだけ、何かおかしな方向に発展しちゃう(笑)。他の子らはね、多分、もうちょっと協調性があったんでしょうね。当時の僕らは、ほんと協調性とかなかったです。ひでろうは、おいらよりあったかもだけど(笑)、自分はすごくひどかったと思います。そもそも仲間や友達を欲してもないんですけどね(笑)。


ひでろうと、あともう一人シゲちゃんて子と、その「狂乱」てバンド始めた時も、何てゆうのかな、バンドをやりたくてやったわけじゃないんすよ。ひでろうもそうだと思うんだけど。パンクっていう音楽を聴いて、うわ、パンクかっこいい、これやりてえ!とか、この人かっけえ!あこがれる、とか、そういうんじゃなかったんですよね。ただのはけ口だったんですよ、パンクって。その頃はとにかく、自分以外のすべてが敵ぐらいの感覚で生きていたようなもんなので、パンクは「きっかけ」を教えてくれた。社会との結びつき方を、ああ、こう吐き出してけば良いんだって。狂ってるのは自分じゃない、お前らだ、お前らがみんな狂ってるんだ!おれを認めろ!って(笑)。そうぶちまけて良いよって、そのきっかけをくれたものであって、それがパンクだと自分は思っていて。だからパンクって、音楽のジャンルというわけでももちろんないし。そんなふうにしか生きられない奴のことをパンクって言うんだぐらいに思っていたので。



まわりのパンクの人たちも?


おれらは埼玉で始めたけど、当時、パンクっていうと東京の高円寺二〇〇〇〇Vっていうライブハウスだろ、みたいな風潮があって、そこに行ったわけです。そんで東京に出てったものの「は?いなくね?パンク」ってなります(笑)。要は、格好だけパンクのやつはそれなりにいたんだけど、なんだかそいつらほんとただ格好だけ。全然普通の連中じゃんって思って。「あぁーつまんねえとこ」ってなっていて。でも、それでもまあ「ばーか、ばーか」ってやってるうちに、対バンでヒロ君が現れて。ヒロ君も、内容的には「このファッション野郎」みたいなこととか歌ってて、自分たちは理解できないこともあったけど、とにかく怒ってたんで、彼。へへへへ。ああ、いた、やっと本物と会えたわと思って。そう、やっと本物と会えたよっていう感じ。その辺りで唯一、友達になったのは、ヒロ君のその「スリンクス」というバンドだけ。で、そのバンドには太一君としんや君(志ん奴・締太鼓)も加わってきます(笑)。ヒロ君もそう言っていたと思うんですけど、パンクにガッカリ、というよりもうウンザリしちゃって、そしたらパンクに向かって毒を吐くことになるから、そりゃそこで普通は友達なんかできないですよね(笑)。


そして狂乱も続けているうちに、ちょっと認められるようになっていったんです。なぜか自分たちより、少し年上の人たちが多かったんですけど。端的に、お前らクソ!おれを認めろーと吐き出してる奴等が、まさか認められだしちゃう(笑)。「いいね」って認めてくれている人たちがお客さんとしてライブに来てくれる、その人たち相手に毎回、ガーっと吐き散らかしても空回りしちゃって。当たり前ですよね(笑)。矛盾ができてきちゃたので、自然に。やってても意味がねえって。なんかもう嘘になっちゃうなって思い始めたら続けられなくなって、やめちゃいました。


 


切腹の活動は、種まき。

そして水やり。


でもそういうとこから、なんて言うのかな、生まれて初めて「ありがとう」を知ってくみたいな。聞いてくれる人がいて、初めて伝えられるわけで。そのへんを実感として知っていったから。ひとりじゃない。つうか、逆に「あ、おいらひとりじゃ、すげえ何にもできない」っていうことなんかを、いろいろ気づいていくっていう感じだったと思います。


バンドはその後、いろいろやってたんですが、最後にやってた「海賊チャンネル」ってのが、おそらく唯一、楽しくやってたバンドです(笑)。自分で良いと思ってる事をただ歌わせてもらって、甘やかしてもらってて、ありがたかったです。そしてかっちょ良かったです(笑)。これ、むうに(平太鼓・志むら)と一緒にやってたんですが、むうにのわがままで終わっちゃいます、残念(笑)


むうにさん?あらら(笑)。バンドの変遷って、生き方の変遷でもありますね。


生き方、考え方?世の中だって時間とともにいろいろと変わっていって、友だちにも子どもが生まれるとかになってくと、世の中の事とか、あらためてそのへんを思い直したりして。そうすると、その子らがさ、これから先を生きていくために、もっといい方向に向かおうよって思う。で、日本を見つめ直してくみたいな。そういう自然な流れだったんじゃないかと思うんですよね。世の中のダメなもの、ダメにしていくものの根本は「自分のことばっか」って考え方だってのが、けっこう共通してる・・・。それまで「自分のことばっか」の極致で生きてきたので、逆に敏感に毛嫌いするようになっちゃったように思います(笑)

だから、さっき話したパンクっていう意味ではね、切腹はパンクじゃないと思うんですよ、それじゃ困っちゃう(笑)。パンクやってた人間の時とは、一八〇度、真逆。そりゃ変わってないところもあるんでしょうけどけど、当時とおんなじ人間かって言ったら、全然違う。


いろんな記事のプロフィールで「和楽器パンク集団」みたいに書かれているのが多いですよね。最初に、このウェブ立ち上げる時、飯田さんに記事内容の確認のお願いをしたんですけど、飯田さんからも「厳密にいうと、自分らのことをパンクバンドとは言っていないので、「和楽器の集団」くらいでお願いします」ってお返事がきました。


いいんですけどね。別に呼んでいただこうが(笑)。歳いっても、パンクの人っているじゃないですか。お客さんにも、一緒に公演する側の人にも、若い頃からずっとパンクやってるような人たちもいます。そういう、歳とってもパンクな人は、みんなやさしいですよ(笑)。たぶんパンクの本質つうか、そういうもんだって、ずっとやってる人は分かってるような気がする。だから、若い子らをやさしく見守ってるような気がしなくもない。ちょっとお父さん目線ていうか(笑)、パンクって、かっこいいとかじゃなくて、つらいんですよ。苦しいだけっていうか、ね。

んで、今の切腹にその要素はない・・・、とは言い切れないけど、ないと思いたいので(笑)。こんなおっさんばっかで、そんなんじゃマズいじゃないですか(笑)。こんだけ人数いて若者は大地(久保田大地・締太鼓)一人だけですよ??あと飛んでちびっこのイチ(飯田一之助)ですよ?おっさんばっかすぎてもう臭いですよ!いや、臭くはないですけど(笑)。

だから、見た目的に激しいとか、音楽のジャンルとして?そんなことでパンクって呼ばれてるんでしょうね。散々語っておいてなんですが、まぁどうでもいいんです、へへへ。


希望的な話をすると、隊内の話だけじゃなく、うちらのお客さんには若い子が少ないです。本当は、おっさんおばさんよりも、若い子や子どもたちともう少し接することができたらいいなとは思いますね。切腹の活動って、種まき。種まきとか水やりみたいなものだと思うんで。要は、とにかくできるだけ良い明日へっていうか、そういう、何か繋いでいくこと。ちょっとでも少しでも、世の中が良くなってったらいいなというだけのことなので、好き勝手にさんざん生きてきた自分らみたいな、おっさんおばさんとかよりも(笑)これからを担っていく子どもらと、もっと接することができたらいいなと思います。前に一回、小学校から訪問演奏に呼んでもらったことがあるんですけど、子どもたちの反応も良かったし、たとえば、ずっとそれができるんだったら、ほんとそれだけでもいいな、なんて。あははは。


ほんと!子どもたちに体験の機会を作っていきたいですね。子どもの周りもね、教育も遊びもパターン化されたもので溢れてて、つまんなさそうに見えますよね。


街もそうですね。越谷もそういう街です、端的に言ってしまうと。地元だから好きは好きなんだけど、今日の取材でも、簑田さんは隊員が暮らしている街に出かけて話を聞く趣旨だって聞いて、でも越谷のどこで会おうかと悩むくらい越谷の個性ってない。昔から中学校の近くに神社があって、その神社しか浮かばなかったんです。神社って言ってもなあ、神社で話もなぁとか思ってて。そしたら、一緒になんか食ったらいいんじゃないの?半田屋だ!ってひらめきまして(笑)。


半田屋、最高です! 昔、川越や桶川のモトクロス場に通ってた時期があって、その頃に半田屋があったら絶対に常連になってたなー。




バイパス、量販チェーン店、


ショッピングモール

どこにでもある地方都市の出来上がり


川越じゃなくて越谷のつもりだったんですけどね(笑)。越谷の飲食は、チェーン店に関しちゃ、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、松屋とか、ほぼあるんですよ。半田屋も仙台発祥のチェーン店っちゃチェーン店だし。個人店でいいお店って、残念ながら栃木の西方の方が全然あるみたいな(笑)。


ベッドタウンってそんなもんですかね? 街の形としては、他の地方都市と一緒。地方にいろいろ遠征行くじゃないですか。高速から降りると、だいたいでっかいショッピングモールと、ヤマダ電機とか、そういう大型の量販店がいくつも並んでる。そんでもともとあった街並みのほうはシャッター通りになるっていうね。それは、東京に近くたって一緒。越谷も一緒。越谷レイクタウンって名前聞いたことあります? レイクタウンというのはイオンのことです。イオンモールができて、アウトレットもできて、それにあわせて、人工の池を造って、さくっと住宅地になったんですけど。今、「越谷」っていったら、先ずその「越谷レイクタウン」みたいになっちゃってるんじゃないかなぁ。元々そこ、火葬場だったんですよ。田んぼの中にぽつんと火葬場があっただけのところがレイクタウンって呼ばれるようになっちゃって。人工の貯水池とでっかいショッピングモール・・・、はぁ。ほんとデカイんで、歩いて端から端行くのも大変。そして元々の商店街はシャッターだらけ。


自分は蕨市に十年ちょっと出ていたので、越谷に帰ってきたときはちょっと衝撃でした。以前は、駅の周辺は一応ね、賑わってたんですよ。ヨーカドーとか悪ガキが行く服屋さんとかがあって、その並びに食い物屋さんとか並んでて。今となってはちょっと信じられないけど、人通りもすごくあって、適度な賑わいというか。たまに越谷には帰ってきていても、駅のあたりに行くことはなくて、十年経って越谷に戻って、その辺に行ってみたらもう衝撃。駅の周辺、あちこちがコインパーキングになっちゃってたわけですよ。駐車場がすげえ増えて、同級生の家のとんかつ屋さんも眼鏡屋さんも全部なくなって。みんなどこいっちゃったんだろ・・・。


そのなかで唯一変わらないというか、好きなのは、さっき話した神社と、あとは土手。元荒川っていう川が流れてて。きったねえ川なんですけど。ほんときったねえ浅い川なんすけど、幅はそこそこ広くて。その土手沿いに桜並木がありまして。それが当たり前だと思ってたんですけど、だけど、あちこちの桜並木を見ると、越谷の桜すげえなってわかりました。すげえデカイんですよ、一本一本の桜の木が。桜も寿命があったりするらしいので、六十年、七十年。そろそろやばい気もする(笑)。ほんとに立派なのでなんとか長生きしてほしいですねー。




越谷、お祭りはどうですか?思い出とかあります?


盆踊りは、大好きだったな。夏の夜、好きです。何丁目、何丁目って自治体ごとにやっていて。子どもの頃は夜に外に出るってだけで楽しいので、お祭りとか大みそかとか、やっぱ好きだったですね。


おいら、もう十年くらい日課じゃないけど毎週「日本の祭り」という番組(註七)を見てるんですけど、BS11かな?日本の祭り傑作選なんだよな、正しくは。毎週土曜日のお昼にやってて、録画して見てます。おもしろいですよね、お祭り。「ねぶた」とか「風の盆」とかメジャーなお祭りの時もあるけど、ちっちゃいお祭りがまた楽しい。全然聞いたことない限界集落の祭りを紹介してくれる時もある。作ってるのが地方局なんですよ。埼玉のどこかの地域の祭りだったら、テレ玉が作ってるの。栃木だったら栃木テレビ。それぞれのローカル局で作ってる。見ていると後継者不足で悩んでるとこ多いんですよね。


それで、その番組で、吉村作治っていうエジプト考古学の、あのおじちゃんがいつも偉そうなことを一言二言言って、必ず「私が何で日本の祭りを」っていうくだりがあるんだけど(笑)。作治がね(笑)言ってるんですけど「日本の祭りは数からも質からも世界一」って。たぶんそうでしょうね!と思います。だって本当にあちこちの地域で、市や町に一つのお祭りとかでもなく、いくつもお祭りがあって、しかもそれぞれが、実はすげえ立派なお神輿を持っていたり、めっちゃ凝った山車を持っていたりとか。こんなちっちゃい国の中に、めちゃめちゃたくさんの祭りがありますもんね。そんだけこの国のあっちゃこっちゃに神様もいるってことだし、優しいですよね、日本(笑)。祭りの存在って何だか多くの意味ですごいわぁって毎週思います(笑)。面白いですよね。


ただテレビを見るだけのことなんですけど、その習慣づけってたぶん自分の中では大事かなと思っていて。越谷の街中で普通に生きていて、いつも笛を吹いてるわけじゃないし、何かおいしいもの作っているわけでもない。仏様と神棚に手を合わせることとか以外で、いつもできることは・・・なんというのかな、その意識を、たとえ週一だとしても持つというか。世の中こうだよねっていうか、こういうことはまずいよねとか、いいよね、こういうのって、とか。そういう確認みたいなね、習慣にして馴れ親しむことで取って付けた知識とはまた違うものにはなってくれてるんじゃないかと思います。笛や踊りの参考になることもあるし、単純におもしろいから見続けてるんですけどね(笑)。




ありがとう

ごめんなさい

おめでとう。


切腹ピストルズの活動でも、いろんな地域に行って、祭りに呼ばれたりしてますよね。



ですね。楽しいしありがたいですね!一回だけ、とある神社の神事を知らずに邪魔してしまったことがあって(笑)。うちらが神社の前から練り歩きをする、それを神主さんが怒りながら追いかけてくる・・・という、ものっすごく不本意な経験もあります。とても悲しい絵面だったのであれは忘れられないです(笑)。その地域、地域でやってること、神事やお祭りもそうだけど、地域で頑張ってやってるものが好きで、それを応援したいのに、その邪魔なんかもう決してしたくないですね。


応援。そうですよね。切腹の演舞には、いろんな地方で励まされる老若男女、多いと思います。初めて生で見た時、じゅんさんが、演奏の途中で笛を片手に観客の中に踊りながら入っていく時の手足の運びというか、身のこなしが、ちょっと衝撃的でした。

江戸の時代、どこの農村にもこういう人が絶対いた!って。つらい農作業の時とかに、田んぼの畔を踊りながら進んで賑やかして、みんなを励ます、そんな景色が目に浮かんだんですよ。




マジすか。それは嬉しいなぁ、それ書いといてください!あははは。それはすごくありがたいし嬉しい。だいぶ前にヒロ君がツイッターかなんかで見つけて教えてくれたお客さんの感想で、おいらが踊ってるのを見て、まるで「北斎漫画」みたいだったって投稿していてくれたという。その時もね、ちょっと嬉しかったですね。踊りは誰に教わるという訳でもなく、もともと好きだし、できるできないだとかは抜きにして、いろんな日本の踊りをみて興味がわくし「いいなぁ」ってものを頂戴する感じ・・・ですね(笑)




例えば、けっこう多いんですけど、腰は落としても背筋は真っ直ぐ姿勢正しくみたいなところがありますよね。阿波踊りなら連にもよりますけど、すごく腰が低いんだけど、背中はピンと真っ直ぐでかっこいい、とか。でも、例えば三島由紀夫は、背筋がピンと伸びたダンスや踊りは日本人には合っていない。農耕からくる、もっとこう腰が曲がったような形、舞踏ってあるじゃないですか、あれが日本人のものだということを言っていたらしくて。おいらは、どっちもだなと思うんすよ。どっちを見てもいいなと思うし、どっちの考え方もきっとまちがってないでしょ(笑)。で、どっちも取り入れたいと思っちゃいます。あとは、はったり(笑)。何十年も習って磨いてきたというわけでもないし、只々ただのはったりですね、へへへ。


それから篠笛は、あと二人、かっちゃんとほそやん(細谷直弘)がいるじゃないですか、にぎやかし部隊として(笑)。ここでまた全然、踊りも違うので。かっちゃんはかっちゃんで楽しそうだし(笑)、ほそやんはほそやんで、あいつ寡黙ですけどなんかめちゃめちゃ踊ってくれてますね(笑)。心強いです。みんなでこう合わせようみたいなのはまったくなくて、でも公演中はお互い意思疎通できてる部分もあって、なんかそんな具合でよいと思ってます。いいなってものは、いろいろで、それぞれで、楽しいです。


楽しんでいらっしゃるのは、私たちにも伝わってきます。じゅんさんの踊りには、「只のはったり」以上の意味があるように思えます。


ふえぇー!すみません、ありがとうございます(笑)。あとは、所作の意味はいちお考えたりもしますね。お相撲さんが懸賞金もらうときに、手を平にして前に出して、左、右、真ん中って順に空気を切るみたいにやるじゃないですか。あれは、手刀って言って、悪いものを断ち切るとかの意味があったりするんです。

あと土俵入りの時、手の平を下にして左右に腕を水平にぴんと伸ばす。あれは何も持ってないよ、ってことで正々堂々って意味がある。柏手は塵手水(ちりちょうず)って言って場を清める、とか。そういう意味を踏まえて動くのが好きです。おいら、公演中は悪いもの断ち切りまくってますから!(笑)



大地の芸術祭にたぶんはじめて呼ばれた頃の話で、今でもつながりのある車いすに乗った人がいるんですけど、その人たちと最初に会った時のことで、たしか練り歩きを見に来てくれたんだけど終わっちゃってたんですよ。でもせっかくだから、一、二曲だけやって。そのとき、確か笛も持たずにその子のそばでただ踊りまくってたんですよ(笑)。

「いいことあってね、いいことあってね」と、それだけ思ってただ踊ってました。そしたらその子が、演奏が終わった後に、「すごく祝福された気分になった」みたいなことをわっーと言ってくれて。その時は、ああ伝わったんだ、って嬉しかったですね。


切腹の中では踊りなんてただ、にぎやかしなもんだと思ってるんですけど、なんとなくやっぱり、祝福?かなぁ。何ていうか・・・、生きててね、自分がなんか言いたいことなんて、たぶん「ありがとう」と「ごめんなさい」しかないような気がするんです。極端に言ってしまうと(笑)。そんでその次くらいにこっちから言いたいこととしたら「おめでとう」がいい。言葉もすごい好き。なので何か祝福できることがあったら、それはありがたい。もちろん場面や曲にもよるんですけど、そういう気持ちで演奏したり踊ったりできるときが楽しいすね、やってて。



さっき、おっしゃっていた、ありがとうの意味を知っていく・・という気持ちの延長上にあるのかなあ。



うん。うりゃーってお客さんの中に突っ込んでったりとか、がぁーってノリで突っ走ってしまう時とか、そういうのは、作り物っちゃ作り物です。ボタンがあってポチみたいな感じですね、いつでもやろうと思えばできること、作り物ですから(笑)。さっきのパンクの話ともくっつくけど過去の経験値みたいなもので。演じてるに近い。おいらは自分でその演じてる感じに、たぶん嫌悪感に近いものを持ってたんだと思います。


あ、それで映画に出させてもらったじゃないですか!豊田監督の「狼煙が呼ぶ」。撮影の現場でも録音でも、いろいろと新しいたのしい経験させてもらったわけですけど、その中で、いつだったか監督が「生きてることは演じること」じゃなかったかな? なんか人生も芝居、人はみんな演じてる、的なことを話してて。あの人いつも笑っているので冗談か本気かわからないんですけど(笑)。なんにしてもそのような感じの事を話されていて、そういったことを生業にしている人の、そんな言葉を聞いて、少し自分でもその「演じること」?を肯定できるようになりました。

これ話したら、かっちゃんに「何、俳優みたいなこと言ってんすか!」って笑われました(笑)。でもよかったんです、あはは。


深いなあ! 演じることも全て、自分の中にあるものから出てくるようにも思いますね。


高揚感みたいなものは作り物じゃないですよ。本物でしょうけど、でも、今は、その高揚感を求めてやってるわけじゃなくて、それだけだったら、切腹やってないですね(笑)。そうじゃなくて、何かを願いながら、笛を吹いたり踊ったりできるような現場っていうのが、やっぱ自分は一番うれしいし、楽しい。でも、自分の楽しい気分だけを求めてやっているわけでもなくて・・・。楽しくてやってるだけだったら、それはそれで切腹やめていると思う(笑)。実際みんなとやってて楽しいですけど、でも、それより、世のため人のためじゃないですけど、世の中との接点として、世の中がちょっとでも良くなるため、やっぱりちょっとでも良い明日のため・・・ですね。切腹ピストルズはそういうものだと思っているので、あほな人ばっかですけど(笑)。なので切腹にもすごく「ありがとう」という気持ちでいます。それだけでやってる(笑)かな?




あれ、おいらあっち行ったりこっち行ったり喋りすぎじゃないですか?バカは良く話が飛ぶらしいですよ、大丈夫ですか、これ?(笑)話してるとちょっとのことでも、文にすると超いっぱいになったりするじゃないですか。なんかすげえ簑田さん大変そう!

おいらの話は、最後に全部(笑)をつけて短くていいですよ。半分くらいが「(笑)」で埋まってたら理想的です(笑)。


で、次に誰に話を聞きに行くかって決まってんですか? いちお東京が一番多いですよね、隊員。東京の隊員は、代々木公園とかにみんな集まれーって全員集めて、はい輪になってーって、ほんで真ん中にマイク置いて、さ、どうぞ!でいいんじゃないですか?あはは。



それ、いいかも(笑)。いやいや、お一人ずつ、じっくりと!


いやほんと、今日は半田屋さんの取材に遥々ありがとうございました。あはは。あぁー最後に、もし!もしですよ、万が一、この記事を半田屋の方が目にすることがありましたら、懲りずにまた越谷に半田屋を!ぜひ半田屋を越谷に!よろしくお頼み申します。(終)


 


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註一

ハレとケ

『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田國男(明治八年-昭和三十七年)が最初に提示したと言われる、日本人が過ごす時間軸の中での世界観を表す概念。「ハレ」は、非日常的で節目ともなる、年中行事や祭りなどの世界観。「ケ」は普段の日常で、そこに時折「ハレ」の時間が差し込まれ、人は日々を過ごしてきたが、柳田國男は、近代化によって、その境界が曖昧なものになってきたと指摘していました。



註二

仕事のこともお話していただきました。

「ウェブ屋をやってます。デザインとコーディング。蕨市に出て、そっから越谷に戻ってきたときに仕事探してたら、隣町の草加のホームページ屋さんで募集してたんです。職種的にはディレクターで、お客さんと打合わせしたりして、制作側ではなかったんだけど、制作にいい人が多くて、彼らのお手伝いをしているうちに、覚え始めたんですよね。ただ、その会社と組んでた営業会社のやり方がローン組ませてウェブサイト作らせるような営業で。見えないものを売る感じは嫌だな、と思って辞めて、そのあと一人でやってます。おかげさまでもう十年以上はひとりでやれているので、いやぁ、ほんとおかげさまだなと、ありがたいこっちゃ。仕事には特に何の誇りもないです(笑)、ないですよ。ただ会社とかの組織に属してないのはやっぱり性に合ってるんだとは思います。良くも悪くも、全部てめえのせいっていうのは、気が楽ですよね。難点と言えば、代わってくれる人がいないので、どうしようもなくても誰も助けてはくれないこと(笑)」


註三

大口真神(おおぐちのまかみ)。

おいぬ様、ニホンオオカミ。狼が神格化したご眷属(けんぞく)。


註四 

武蔵御嶽神社と切腹ピストルズの馴れ初めも伺いました。

「切腹の物販でニホンオオカミの西洋肌着がありまして。一番はじめのデザインが思いきり御嶽神社の護符のオオカミだったんですよ、もちろん無断拝借で(笑)。それで、もう三、四年前になるかな? 長野の公演に「私、御嶽神社の神主の娘です」って子が来てくれて。えぇー!!なんだってー?!と(笑)。それが橋本さんの娘さんだったんです。最初は「うちの護符、勝手に使って」って怒られるもんだと思ってたんですけど、怒られるどころか「どうぞどうぞ」って(笑)。そしてその年、御嶽神社の式年大祭で奉納演奏をさせていただくという、うちらとしたら、ありがたいばかりの願ったり叶ったりな運びとなり・・・。初っ端から懐の広さを感じました」


註五

『オオカミの護符』小倉美惠子・著 新潮社 2011年。新潮文庫2014年

高度経済成長期に小さな集落から巨大なベッドタウンへと変貌した川崎市宮前区土橋で生まれ育った著者が、実家の古い土蔵で見つけた一枚の護符。そこに描かれた「おいぬ様」への興味から関東・山梨の山岳信仰を探る取材の旅へ。小倉さんがプロデュースした記録映画『オオカミの護符-里びとと山びとのあわいに』(2008年)をもとに書籍化された一冊。狼信仰の入門書としてもぜひ。


註六

越谷しらこばと

久坂さんとは、現在「越谷しらこばと」という名前で、詩吟漫談のコンビを組んでいる。切腹ピストルズの寄席などに登場して、漫談の中で、観客に詩吟の吟じ方を、体を張って(?)教え、一緒に吟じながら、ちょっと不思議でなんだか幸せなノリで突っ走る。それにしても、なぜ詩吟?

「たまたまというか、うちの実家の前が先生の家なんですよ。鈴木さんっていうんですけど。子供の頃から鈴木さんって呼んでいたおばちゃんを、もう、ずっと先生と呼んでます(笑)。もう鈴木さんとは呼べない、あははは。もともと母親が先生に習っていて、家にあった教本を見たら、昔の和歌とか漢詩がいっぱい書いてあって、吉田松陰とか高杉晋作とかの句が載ってたんすよね。そこらへんからちょっと興味を持って、家の前だし、教室に行ってみて、ああ、いいなぁと。はじまりはそんな感じです。そんでちょっとしてむうにもはじめて、またちょっとしてひでろう君も。三人とも段位でいうと奥伝で、むうにとおいらは準師範の資格も持ってます(笑)。詩吟って難しそうに思えるかもしれないけど、詩の右側に、高い低いとか、どう伸ばすとか、上向いたり下向いたり、うにょうにょしたり、記号で譜付けがしてあって、先生の詩吟を聴きながら、それ見てると、ドレミファの譜面なんかより絶対わかりやすい。初めての人でも、なんとなくわかると思います。はあ、こういうことか、と。感覚で」



註七

『日本の祭り』傑作選

TOKYO MXテレビで放送されていた番組。残念ながらこのインタビュー前の二〇二〇年六月いっぱいで放送終了とのこと。





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http://editorialyabucozy.jp/antimodernism/2332

挿絵|黒田太郎
聞き書き|簑田理香
取材・二〇二十年七月三日 川越市にて。
追加取材・二〇二〇年九月 電子網にて。

大口ノ純(猪純) 
切腹ピストルズ篠笛隊員。生まれも育ちも埼玉県。

二〇一八年十月二十一日、日光市の大谷川公園で開催された「アースデイ日光」。
広場で始まった切腹ピストルズの演奏。その後半、猪純さんが笛を片手に、見物人の中へ躍り出てくる。野良着に菅笠、軽やかな足の運び、手の動き。逆光の中に映ったそのシルエットから、一瞬にして目の前に江戸時代の農村地帯の風景が広がる。田や畑で、腰をまげて作業する農民たちも、純さんが踊りながら畦道を進む姿を、顔を上げてにこやかに目で追っている。

なかなか収束の光が見えないコロナ禍の中で、車で移動できる範囲での聞き書きを続けようと、越谷の猪純さんに連絡をとってみたところ、「半田屋で昼ごはん食べましょう!」と相成りまして。七月三日、MIXCLOUD「俚謡山脈」を聴きながらホーハイホーハイ(ホーハイ節)と向かった先は、川越の半田屋でございます。最初は越谷の半田屋でのお約束でありましたが、取材日の直前に「悲しい!!半田屋、閉店しちゃいました、、川越にはあるんすけど」との悲報が届く。半田屋は仙台発祥の定食屋さん。おかずの種類が多くて安くて、お米自慢のお店でご飯もおいしい、「お腹いっぱい食べて幸せに」という理念のお店らしく、埼玉経由で移動する際は切腹隊員もよく利用したとのこと。それはもう川越店に行くしかないですね!・・・というコトの次第。
それぞれに好みのおかずをお盆にとって(純さんは簑田の二倍強)、この春以降、どんな毎日ですか?というお話から。

 

おいぬ様の山で
疫病退散祈願

六月二十一日にライブ配信された、青梅市の武蔵御嶽神社での奉納演奏が、久しぶりの活動だったと思うんですけど、四月以降はどんな日々を過ごされていましたか?

快適に過ごしていました、あはは。コロナ前は毎週末のように予定が入っていて、そのときは多分、元気なんですよ。でも、あんまり続いてると・・・、切腹って自分たちで強制的にハレ(註一)の日を作っちゃうようなもんじゃないですか。そうでないケの日、普段の仕事(註二)の生活に戻ってからのケの具合がハンパなくなってきます。ケが生えちゃうわぁ!みたいな(笑)。ケーぼうぼうになってくるんで(笑)、ちょっとホッと一息みたいな、そんな感じはありました。もちろんコロナにゃ、いろいろと考えさせられる事もありましたよ。いっちょ前に、あはは。

それでこの前は、切腹としたら活動再開する一発目だったので、うちらの大好きな大口真神さん(註三)を祀られていて、ご縁のある御嶽神社(註四)で奉納演奏させてもらえたら、って事でお願いしたら快諾いただいて。神社では疫病退散ということで神主さんに祝詞も上げてもらったんですけど、その祝詞もすごい攻めておられて(笑)、とても良かったんです。奉納演奏ではその祝詞をあげていただいた神主さんで、雅楽奏者でもある橋本さんという方が、笙(しょう)も吹いてくれて、もう贅沢すぎ(笑)。橋本さんは、神主さんでもあり御師(おし)さんでもあるんです。御師さんは、神主として神事もされるけど、江戸の頃から下山して信仰を広める布教活動もされていた人たち。お伊勢参りを流行らせたのも伊勢神宮の御師さんたちですよね。

あ、以前読んだ『オオカミの護符』(註五)に出てきました。信仰で結びついた人のつながり、講(こう)でしたっけ、村々の講を回ってお札を配ったり、お参りのお世話をしたりするんですね。

そうそう、それが御師さん。関東のあちこちに御嶽講は広まっていて、秩父の三峯神社の三峯講もそうだけど、狼信仰は残ってます。狐憑きの特効で、幕末の頃には黒船だのコロリだのって、まさに疫病だののせいで狼信仰大フィーバー!だったって話です。講中から毎年、みんなの代表者が山に登って神社に詣る。それがすごく楽しかったようで。昔は歩くしかないし、遠いし、周りの人は「行ってらっしゃい、大変だけど頑張ってね」という感じなんだけど、実は山へ来ると、そこは賭場に花街、娯楽の宝庫(笑)。御嶽というのは本当に山の上の里なんで、治外法権。物見遊山で、そりゃちょー楽しみだったらしいですよ。

今もね、いいんですよー、御嶽の里。今でも治外法権の匂いがする、あははは。宿坊をやっている方は、ほぼ皆さん神主であって、御師さん。講の人が山に参拝に来た時に、御師さんが泊めてあげるじゃないですか。それがたぶんそのまま宿坊になって。雅楽も、笙(しょう)に龍笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)だったり、できる方が揃ってる。住んでる人たちもみなさん普通に神社が好きで関わりがあって。神社本庁に属してないとかも大きいのかな、とも思うんですけど、なんて言うか里全体が神社を中心に優しいっていうか、やわらかい。昔ながらの神社と氏子、大衆との関係性が残ってるみたいな・・・。ともかくいいんですよ!(笑)。そんなわけで、うちらみんな大好きです。

もともと笛って、
自然と遊ぶためのもの

奉納演奏はYouTubeで配信されたので観ました! じゅんさんの笛、すごく響いて綺麗に聞こえてきましたよー。

いや、ひどかったですよ(笑)。久しぶりだしマスクだし、なんで笛ってこんな繊細なの? 全然音が出ねえんじゃねえのって思って、はははは。マスクして吹くって、なんか笛にも失礼な感じがしたなぁ、ちょっとだけ。ともかく自分がへぼかったです(笑)。まあ元々笛吹けないんですよ。吹けてないんです、ふふふ。ほんと全然へったくそ(笑)。

純さんは、切腹ピストルズではどうして笛に?

切腹のみんなはもともと友だちで、たまにライブ見に行くこともあったんですけど、今の和楽器の形になって初めて見に行ったときに、太一君(天誅山太一・平太鼓隊長)が演奏中にすごくいい顔で笑っていて。それまで見てきた時とは違う表情がもう衝撃的で。一緒にやってみたいって思わせられたんですよね。最初はただそんなだったです。それで、太一君に「踊り、どう?踊り、要らない?」みたいなことを自分から聞いたら「踊りはいらない、笛がいないんだよ、笛」って返されて、マジか、、、って。「おれ、楽器は本当にできないよ!」みたいな(笑)。だけど、もうとにかく一緒にやってみたかったんで、なりふりかまわずな感じで笛に手をだしてしまいました(笑)。

笛も太鼓も、オリジナルの楽曲を作る時って、特に誰かが曲を作って、それをみんなで練習して・・・というスタイルではなさそうですよね?

そうですね。スタジオでお稽古しながら、ここをこうしようああしようってみんなで決めていって、笛はどんながいい?こんな感じは?って吹いてみたり、ですね。例えば『狼信仰』って曲の場合は、祇園祭のお囃子っぽいのとかもいいなと、ヒロ君(飯田団紅・総隊長)が初めから言ってくれていたんで、さらっとああいう旋律になったり、という事もあります。

さらっと、とはいえ、一度聴いたら心に残る、印象的な旋律ですよね。祇園祭のお囃子ね、なるほど!

お囃子って、笛の初心者にもやさしいんです。運指、指の動きがやさしくできているんです。ピーヒャラピーヒャラってすごく指を動かしてるように聞こえても、自然に動きやすいっつうか、押さえやすいような指の動きになってる。だって、笛も太鼓も、お囃子や神楽をやる人は、農家のおっちゃんだったり、その辺の普通の兄ちゃんだったり、音楽家とかなわけじゃないから。大衆のためのものですもんね。

だけど、ドレミで作られている音楽といわれるものたち。音楽になると運指がね、こっからなんでこっちいっちゃうの?みたいにすごく難しいの(笑)。たとえば、出囃子でちょっと「ハットリくん」やろうとか(笑)になってやってみようとしても、ドレミファソラシドからできている音楽というのは難しい。急に「ハットリくん」なんか吹けない(笑)「鳩ぽっぽ」ですら難しい!とゆう、まあそんなことを初心者で笛を始めて、身をもって知りました(笑)
切腹の楽曲は、基本はお囃子。だけど、音楽のほうも求められる事があるので、今でもちょー苦戦します(笑)笛って、たぶん本来は合奏するものでもなくて、ひとりで勝手に吹いてたものだと思うんですよ。いま自分たちが使っている笛は、唄用というものでドレミファソラシドがあるから、それに合わせてちょっと穴の位置をずらしたり穴の大きさがまちまちに作られている。でも、古典調という笛は、そういうのではなくて、ただ、本当に均等に穴が空いてるだけ。それも持ってはいるんですけど、合奏はできないんですよ。一本一本笛の音が全然違うんで(笑)。だから、もともとは笛ってたぶんそんな感じで、合奏には向かない。やるとしても、笛は一人で、そこに合わせて鳴り物がのっかってくるような感じだったんでしょうね。

あと、笛って自然と遊ぶものでもあった気がする。尺八がもろ、そんな楽器なんですけど、笛も近しいものを感じます。あ、尺八の事はいずれかっちゃん(野中克哉)にお聞きください、ふふふ。山の中とかで笛吹くと、鳥が答えてくれたりするんですよ。山っつうか、林の中で、トゥルルルって笛吹いてると、鳥が答えてくれたりするので。いや、本当にそうっすよ。ピピピって鳴きます(笑)。日本の楽器って、もともとそういうところがあると思う。神事、祭りなど儀式目的と、プラスちょっと自然と遊ぶもの。音楽のものになったのは明治以降の話で、それまでの笛とかのあり方って、今とは違うと思う。

切腹ピストルズに参加する前に、久坂さんと組んでいたバンド「狂乱」のときは何か楽器をやっていたんですか?

歌です。ボーカル。楽器できないし。小学校のときから音楽は一とか二みたいな。五段階で。ほんと全然、何にも、いやもう今でも音譜とか読めないし、コードとか言われても分かんないです。

ギター弾きてぇ!みたいにはならなかった?

なかったですね。十六の頃かな、十七かな、パンクバンド始めたの。バンドに憧れて始めたとか、そんなの一切なくて、ただ、世の中への怒りをぶちまけたいっていう、それが動機でしたから。

実感って、やっぱりその時にしかないと思うので、あんまリアルに思い出せない部分もあるんですけど、とにかくなんかもう世の中は基本みんな敵だと思っていたから。あははは。全部敵っていうか、なんでしょうね。その頃のおいらは、ほんとに人間的に嫌なやつだし、嫌なやつというか、救われない子でした。だから、その頃、ひでろう(久坂英樹・平太鼓・註六)がいてくれたのは救いだったと思います(笑)。完全にそれが自分一人きりだとしたら、もっとよくない方向に行ったかもしれないけど、そんな気持ちが通じる人間がひとりでもいてくれたおかげで、自分ひとり内側で暴発するんじゃなくて、外へぶちまける方へすんなり行けたんでしょうね(笑)。

小学生、中学生の頃はどうでした?

小学生の頃は、ただの悪ガキです。高学年になると親は何回も呼び出されたりして、迷惑はかけたんだと思います(笑)。中学に入ると、悪ガキ友達とは学区が違って別れちゃったから、すごい真面目にやってました。根はまじめということです(笑)、中学でひでろうと出会って同じクラスになったこともあるけど(笑)、中学の頃って、同じ部活のやつと仲良くなるし、ひでろうは野球部で、おいらはバスケだったから、その時はまだ、ただのクラスメイトって感じです。高校は、どっちも越谷市内のふつーの公立高校に行ったんだけど、別の学校で。ひでろうは一年の一学期でやめて、おいらは、追試も受かって三年に上がるとこまでは続いたんだけど、結局つらくて、やめちゃった(笑)。人の話、聞かない奴だったんだけど、自分の話も人に通じないって思っていたんで。今思うと、当時の自分はちょっとかわいそうな感じです。今のご時世だったら、病院とか連れてかれたら簡単に名前がつきそうな・・・、ふふ。でも、せっぷくの連中なんて今現在、連れてっても名前つきそうな子いますからね(笑)。ぱっと数名思い浮かんじゃう、あはは!

自分以外の全てが敵。
そういうふうにしか生きられない奴が、
パンクだと思ってた。

パンクを聞き始めたのは高校になってから。中学のバスケ部で一番仲よかったやつから「ひでろうっていたじゃない?あいつも実はパンク好きなんだ」って話を聞いて、そっからですね。ひでろうと一緒に遊びはじめて、意気投合して。当初まだかわい気のあった自分らには他にも仲間はいたんだけど、結局おいらとひでろうだけ、何かおかしな方向に発展しちゃう(笑)。他の子らはね、多分、もうちょっと協調性があったんでしょうね。当時の僕らは、ほんと協調性とかなかったです。ひでろうは、おいらよりあったかもだけど(笑)、自分はすごくひどかったと思います。そもそも仲間や友達を欲してもないんですけどね(笑)。

ひでろうと、あともう一人シゲちゃんて子と、その「狂乱」てバンド始めた時も、何てゆうのかな、バンドをやりたくてやったわけじゃないんすよ。ひでろうもそうだと思うんだけど。パンクっていう音楽を聴いて、うわ、パンクかっこいい、これやりてえ!とか、この人かっけえ!あこがれる、とか、そういうんじゃなかったんですよね。ただのはけ口だったんですよ、パンクって。その頃はとにかく、自分以外のすべてが敵ぐらいの感覚で生きていたようなもんなので、パンクは「きっかけ」を教えてくれた。社会との結びつき方を、ああ、こう吐き出してけば良いんだって。狂ってるのは自分じゃない、お前らだ、お前らがみんな狂ってるんだ!おれを認めろ!って(笑)。そうぶちまけて良いよって、そのきっかけをくれたものであって、それがパンクだと自分は思っていて。だからパンクって、音楽のジャンルというわけでももちろんないし。そんなふうにしか生きられない奴のことをパンクって言うんだぐらいに思っていたので。

まわりのパンクの人たちも?

おれらは埼玉で始めたけど、当時、パンクっていうと東京の高円寺二〇〇〇〇Vっていうライブハウスだろ、みたいな風潮があって、そこに行ったわけです。そんで東京に出てったものの「は?いなくね?パンク」ってなります(笑)。要は、格好だけパンクのやつはそれなりにいたんだけど、なんだかそいつらほんとただ格好だけ。全然普通の連中じゃんって思って。「あぁーつまんねえとこ」ってなっていて。でも、それでもまあ「ばーか、ばーか」ってやってるうちに、対バンでヒロ君が現れて。ヒロ君も、内容的には「このファッション野郎」みたいなこととか歌ってて、自分たちは理解できないこともあったけど、とにかく怒ってたんで、彼。へへへへ。ああ、いた、やっと本物と会えたわと思って。そう、やっと本物と会えたよっていう感じ。その辺りで唯一、友達になったのは、ヒロ君のその「スリンクス」というバンドだけ。で、そのバンドには太一君としんや君(志ん奴・締太鼓)も加わってきます(笑)。ヒロ君もそう言っていたと思うんですけど、パンクにガッカリ、というよりもうウンザリしちゃって、そしたらパンクに向かって毒を吐くことになるから、そりゃそこで普通は友達なんかできないですよね(笑)。

そして狂乱も続けているうちに、ちょっと認められるようになっていったんです。なぜか自分たちより、少し年上の人たちが多かったんですけど。端的に、お前らクソ!おれを認めろーと吐き出してる奴等が、まさか認められだしちゃう(笑)。「いいね」って認めてくれている人たちがお客さんとしてライブに来てくれる、その人たち相手に毎回、ガーっと吐き散らかしても空回りしちゃって。当たり前ですよね(笑)。矛盾ができてきちゃたので、自然に。やってても意味がねえって。なんかもう嘘になっちゃうなって思い始めたら続けられなくなって、やめちゃいました。

 

切腹の活動は、種まき。
そして水やり。

でもそういうとこから、なんて言うのかな、生まれて初めて「ありがとう」を知ってくみたいな。聞いてくれる人がいて、初めて伝えられるわけで。そのへんを実感として知っていったから。ひとりじゃない。つうか、逆に「あ、おいらひとりじゃ、すげえ何にもできない」っていうことなんかを、いろいろ気づいていくっていう感じだったと思います。

バンドはその後、いろいろやってたんですが、最後にやってた「海賊チャンネル」ってのが、おそらく唯一、楽しくやってたバンドです(笑)。自分で良いと思ってる事をただ歌わせてもらって、甘やかしてもらってて、ありがたかったです。そしてかっちょ良かったです(笑)。これ、むうに(平太鼓・志むら)と一緒にやってたんですが、むうにのわがままで終わっちゃいます、残念(笑)

むうにさん?あらら(笑)。バンドの変遷って、生き方の変遷でもありますね。

生き方、考え方?世の中だって時間とともにいろいろと変わっていって、友だちにも子どもが生まれるとかになってくと、世の中の事とか、あらためてそのへんを思い直したりして。そうすると、その子らがさ、これから先を生きていくために、もっといい方向に向かおうよって思う。で、日本を見つめ直してくみたいな。そういう自然な流れだったんじゃないかと思うんですよね。世の中のダメなもの、ダメにしていくものの根本は「自分のことばっか」って考え方だってのが、けっこう共通してる・・・。それまで「自分のことばっか」の極致で生きてきたので、逆に敏感に毛嫌いするようになっちゃったように思います(笑)
だから、さっき話したパンクっていう意味ではね、切腹はパンクじゃないと思うんですよ、それじゃ困っちゃう(笑)。パンクやってた人間の時とは、一八〇度、真逆。そりゃ変わってないところもあるんでしょうけどけど、当時とおんなじ人間かって言ったら、全然違う。

いろんな記事のプロフィールで「和楽器パンク集団」みたいに書かれているのが多いですよね。最初に、このウェブ立ち上げる時、飯田さんに記事内容の確認のお願いをしたんですけど、飯田さんからも「厳密にいうと、自分らのことをパンクバンドとは言っていないので、「和楽器の集団」くらいでお願いします」ってお返事がきました。

いいんですけどね。別に呼んでいただこうが(笑)。歳いっても、パンクの人っているじゃないですか。お客さんにも、一緒に公演する側の人にも、若い頃からずっとパンクやってるような人たちもいます。そういう、歳とってもパンクな人は、みんなやさしいですよ(笑)。たぶんパンクの本質つうか、そういうもんだって、ずっとやってる人は分かってるような気がする。だから、若い子らをやさしく見守ってるような気がしなくもない。ちょっとお父さん目線ていうか(笑)、パンクって、かっこいいとかじゃなくて、つらいんですよ。苦しいだけっていうか、ね。
んで、今の切腹にその要素はない・・・、とは言い切れないけど、ないと思いたいので(笑)。こんなおっさんばっかで、そんなんじゃマズいじゃないですか(笑)。こんだけ人数いて若者は大地(久保田大地・締太鼓)一人だけですよ??あと飛んでちびっこのイチ(飯田一之助)ですよ?おっさんばっかすぎてもう臭いですよ!いや、臭くはないですけど(笑)。
だから、見た目的に激しいとか、音楽のジャンルとして?そんなことでパンクって呼ばれてるんでしょうね。散々語っておいてなんですが、まぁどうでもいいんです、へへへ。

希望的な話をすると、隊内の話だけじゃなく、うちらのお客さんには若い子が少ないです。本当は、おっさんおばさんよりも、若い子や子どもたちともう少し接することができたらいいなとは思いますね。切腹の活動って、種まき。種まきとか水やりみたいなものだと思うんで。要は、とにかくできるだけ良い明日へっていうか、そういう、何か繋いでいくこと。ちょっとでも少しでも、世の中が良くなってったらいいなというだけのことなので、好き勝手にさんざん生きてきた自分らみたいな、おっさんおばさんとかよりも(笑)これからを担っていく子どもらと、もっと接することができたらいいなと思います。前に一回、小学校から訪問演奏に呼んでもらったことがあるんですけど、子どもたちの反応も良かったし、たとえば、ずっとそれができるんだったら、ほんとそれだけでもいいな、なんて。あははは。

ほんと!子どもたちに体験の機会を作っていきたいですね。子どもの周りもね、教育も遊びもパターン化されたもので溢れてて、つまんなさそうに見えますよね。

街もそうですね。越谷もそういう街です、端的に言ってしまうと。地元だから好きは好きなんだけど、今日の取材でも、簑田さんは隊員が暮らしている街に出かけて話を聞く趣旨だって聞いて、でも越谷のどこで会おうかと悩むくらい越谷の個性ってない。昔から中学校の近くに神社があって、その神社しか浮かばなかったんです。神社って言ってもなあ、神社で話もなぁとか思ってて。そしたら、一緒になんか食ったらいいんじゃないの?半田屋だ!ってひらめきまして(笑)。

半田屋、最高です! 昔、川越や桶川のモトクロス場に通ってた時期があって、その頃に半田屋があったら絶対に常連になってたなー。


バイパス、量販チェーン店、

ショッピングモール
どこにでもある地方都市の出来上がり

川越じゃなくて越谷のつもりだったんですけどね(笑)。越谷の飲食は、チェーン店に関しちゃ、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、松屋とか、ほぼあるんですよ。半田屋も仙台発祥のチェーン店っちゃチェーン店だし。個人店でいいお店って、残念ながら栃木の西方の方が全然あるみたいな(笑)。

ベッドタウンってそんなもんですかね? 街の形としては、他の地方都市と一緒。地方にいろいろ遠征行くじゃないですか。高速から降りると、だいたいでっかいショッピングモールと、ヤマダ電機とか、そういう大型の量販店がいくつも並んでる。そんでもともとあった街並みのほうはシャッター通りになるっていうね。それは、東京に近くたって一緒。越谷も一緒。越谷レイクタウンって名前聞いたことあります? レイクタウンというのはイオンのことです。イオンモールができて、アウトレットもできて、それにあわせて、人工の池を造って、さくっと住宅地になったんですけど。今、「越谷」っていったら、先ずその「越谷レイクタウン」みたいになっちゃってるんじゃないかなぁ。元々そこ、火葬場だったんですよ。田んぼの中にぽつんと火葬場があっただけのところがレイクタウンって呼ばれるようになっちゃって。人工の貯水池とでっかいショッピングモール・・・、はぁ。ほんとデカイんで、歩いて端から端行くのも大変。そして元々の商店街はシャッターだらけ。

自分は蕨市に十年ちょっと出ていたので、越谷に帰ってきたときはちょっと衝撃でした。以前は、駅の周辺は一応ね、賑わってたんですよ。ヨーカドーとか悪ガキが行く服屋さんとかがあって、その並びに食い物屋さんとか並んでて。今となってはちょっと信じられないけど、人通りもすごくあって、適度な賑わいというか。たまに越谷には帰ってきていても、駅のあたりに行くことはなくて、十年経って越谷に戻って、その辺に行ってみたらもう衝撃。駅の周辺、あちこちがコインパーキングになっちゃってたわけですよ。駐車場がすげえ増えて、同級生の家のとんかつ屋さんも眼鏡屋さんも全部なくなって。みんなどこいっちゃったんだろ・・・。

そのなかで唯一変わらないというか、好きなのは、さっき話した神社と、あとは土手。元荒川っていう川が流れてて。きったねえ川なんですけど。ほんときったねえ浅い川なんすけど、幅はそこそこ広くて。その土手沿いに桜並木がありまして。それが当たり前だと思ってたんですけど、だけど、あちこちの桜並木を見ると、越谷の桜すげえなってわかりました。すげえデカイんですよ、一本一本の桜の木が。桜も寿命があったりするらしいので、六十年、七十年。そろそろやばい気もする(笑)。ほんとに立派なのでなんとか長生きしてほしいですねー。


越谷、お祭りはどうですか?思い出とかあります?

盆踊りは、大好きだったな。夏の夜、好きです。何丁目、何丁目って自治体ごとにやっていて。子どもの頃は夜に外に出るってだけで楽しいので、お祭りとか大みそかとか、やっぱ好きだったですね。

おいら、もう十年くらい日課じゃないけど毎週「日本の祭り」という番組(註七)を見てるんですけど、BS11かな?日本の祭り傑作選なんだよな、正しくは。毎週土曜日のお昼にやってて、録画して見てます。おもしろいですよね、お祭り。「ねぶた」とか「風の盆」とかメジャーなお祭りの時もあるけど、ちっちゃいお祭りがまた楽しい。全然聞いたことない限界集落の祭りを紹介してくれる時もある。作ってるのが地方局なんですよ。埼玉のどこかの地域の祭りだったら、テレ玉が作ってるの。栃木だったら栃木テレビ。それぞれのローカル局で作ってる。見ていると後継者不足で悩んでるとこ多いんですよね。

それで、その番組で、吉村作治っていうエジプト考古学の、あのおじちゃんがいつも偉そうなことを一言二言言って、必ず「私が何で日本の祭りを」っていうくだりがあるんだけど(笑)。作治がね(笑)言ってるんですけど「日本の祭りは数からも質からも世界一」って。たぶんそうでしょうね!と思います。だって本当にあちこちの地域で、市や町に一つのお祭りとかでもなく、いくつもお祭りがあって、しかもそれぞれが、実はすげえ立派なお神輿を持っていたり、めっちゃ凝った山車を持っていたりとか。こんなちっちゃい国の中に、めちゃめちゃたくさんの祭りがありますもんね。そんだけこの国のあっちゃこっちゃに神様もいるってことだし、優しいですよね、日本(笑)。祭りの存在って何だか多くの意味ですごいわぁって毎週思います(笑)。面白いですよね。

ただテレビを見るだけのことなんですけど、その習慣づけってたぶん自分の中では大事かなと思っていて。越谷の街中で普通に生きていて、いつも笛を吹いてるわけじゃないし、何かおいしいもの作っているわけでもない。仏様と神棚に手を合わせることとか以外で、いつもできることは・・・なんというのかな、その意識を、たとえ週一だとしても持つというか。世の中こうだよねっていうか、こういうことはまずいよねとか、いいよね、こういうのって、とか。そういう確認みたいなね、習慣にして馴れ親しむことで取って付けた知識とはまた違うものにはなってくれてるんじゃないかと思います。笛や踊りの参考になることもあるし、単純におもしろいから見続けてるんですけどね(笑)。

ありがとう
ごめんなさい
おめでとう。

切腹ピストルズの活動でも、いろんな地域に行って、祭りに呼ばれたりしてますよね。

ですね。楽しいしありがたいですね!一回だけ、とある神社の神事を知らずに邪魔してしまったことがあって(笑)。うちらが神社の前から練り歩きをする、それを神主さんが怒りながら追いかけてくる・・・という、ものっすごく不本意な経験もあります。とても悲しい絵面だったのであれは忘れられないです(笑)。その地域、地域でやってること、神事やお祭りもそうだけど、地域で頑張ってやってるものが好きで、それを応援したいのに、その邪魔なんかもう決してしたくないですね。

応援。そうですよね。切腹の演舞には、いろんな地方で励まされる老若男女、多いと思います。初めて生で見た時、じゅんさんが、演奏の途中で笛を片手に観客の中に踊りながら入っていく時の手足の運びというか、身のこなしが、ちょっと衝撃的でした。
江戸の時代、どこの農村にもこういう人が絶対いた!って。つらい農作業の時とかに、田んぼの畔を踊りながら進んで賑やかして、みんなを励ます、そんな景色が目に浮かんだんですよ。

マジすか。それは嬉しいなぁ、それ書いといてください!あははは。それはすごくありがたいし嬉しい。だいぶ前にヒロ君がツイッターかなんかで見つけて教えてくれたお客さんの感想で、おいらが踊ってるのを見て、まるで「北斎漫画」みたいだったって投稿していてくれたという。その時もね、ちょっと嬉しかったですね。踊りは誰に教わるという訳でもなく、もともと好きだし、できるできないだとかは抜きにして、いろんな日本の踊りをみて興味がわくし「いいなぁ」ってものを頂戴する感じ・・・ですね(笑)

例えば、けっこう多いんですけど、腰は落としても背筋は真っ直ぐ姿勢正しくみたいなところがありますよね。阿波踊りなら連にもよりますけど、すごく腰が低いんだけど、背中はピンと真っ直ぐでかっこいい、とか。でも、例えば三島由紀夫は、背筋がピンと伸びたダンスや踊りは日本人には合っていない。農耕からくる、もっとこう腰が曲がったような形、舞踏ってあるじゃないですか、あれが日本人のものだということを言っていたらしくて。おいらは、どっちもだなと思うんすよ。どっちを見てもいいなと思うし、どっちの考え方もきっとまちがってないでしょ(笑)。で、どっちも取り入れたいと思っちゃいます。あとは、はったり(笑)。何十年も習って磨いてきたというわけでもないし、只々ただのはったりですね、へへへ。

それから篠笛は、あと二人、かっちゃんとほそやん(細谷直弘)がいるじゃないですか、にぎやかし部隊として(笑)。ここでまた全然、踊りも違うので。かっちゃんはかっちゃんで楽しそうだし(笑)、ほそやんはほそやんで、あいつ寡黙ですけどなんかめちゃめちゃ踊ってくれてますね(笑)。心強いです。みんなでこう合わせようみたいなのはまったくなくて、でも公演中はお互い意思疎通できてる部分もあって、なんかそんな具合でよいと思ってます。いいなってものは、いろいろで、それぞれで、楽しいです。

楽しんでいらっしゃるのは、私たちにも伝わってきます。じゅんさんの踊りには、「只のはったり」以上の意味があるように思えます。

ふえぇー!すみません、ありがとうございます(笑)。あとは、所作の意味はいちお考えたりもしますね。お相撲さんが懸賞金もらうときに、手を平にして前に出して、左、右、真ん中って順に空気を切るみたいにやるじゃないですか。あれは、手刀って言って、悪いものを断ち切るとかの意味があったりするんです。
あと土俵入りの時、手の平を下にして左右に腕を水平にぴんと伸ばす。あれは何も持ってないよ、ってことで正々堂々って意味がある。柏手は塵手水(ちりちょうず)って言って場を清める、とか。そういう意味を踏まえて動くのが好きです。おいら、公演中は悪いもの断ち切りまくってますから!(笑)

大地の芸術祭にたぶんはじめて呼ばれた頃の話で、今でもつながりのある車いすに乗った人がいるんですけど、その人たちと最初に会った時のことで、たしか練り歩きを見に来てくれたんだけど終わっちゃってたんですよ。でもせっかくだから、一、二曲だけやって。そのとき、確か笛も持たずにその子のそばでただ踊りまくってたんですよ(笑)。
「いいことあってね、いいことあってね」と、それだけ思ってただ踊ってました。そしたらその子が、演奏が終わった後に、「すごく祝福された気分になった」みたいなことをわっーと言ってくれて。その時は、ああ伝わったんだ、って嬉しかったですね。

切腹の中では踊りなんてただ、にぎやかしなもんだと思ってるんですけど、なんとなくやっぱり、祝福?かなぁ。何ていうか・・・、生きててね、自分がなんか言いたいことなんて、たぶん「ありがとう」と「ごめんなさい」しかないような気がするんです。極端に言ってしまうと(笑)。そんでその次くらいにこっちから言いたいこととしたら「おめでとう」がいい。言葉もすごい好き。なので何か祝福できることがあったら、それはありがたい。もちろん場面や曲にもよるんですけど、そういう気持ちで演奏したり踊ったりできるときが楽しいすね、やってて。

さっき、おっしゃっていた、ありがとうの意味を知っていく・・という気持ちの延長上にあるのかなあ。

うん。うりゃーってお客さんの中に突っ込んでったりとか、がぁーってノリで突っ走ってしまう時とか、そういうのは、作り物っちゃ作り物です。ボタンがあってポチみたいな感じですね、いつでもやろうと思えばできること、作り物ですから(笑)。さっきのパンクの話ともくっつくけど過去の経験値みたいなもので。演じてるに近い。おいらは自分でその演じてる感じに、たぶん嫌悪感に近いものを持ってたんだと思います。

あ、それで映画に出させてもらったじゃないですか!豊田監督の「狼煙が呼ぶ」。撮影の現場でも録音でも、いろいろと新しいたのしい経験させてもらったわけですけど、その中で、いつだったか監督が「生きてることは演じること」じゃなかったかな? なんか人生も芝居、人はみんな演じてる、的なことを話してて。あの人いつも笑っているので冗談か本気かわからないんですけど(笑)。なんにしてもそのような感じの事を話されていて、そういったことを生業にしている人の、そんな言葉を聞いて、少し自分でもその「演じること」?を肯定できるようになりました。
これ話したら、かっちゃんに「何、俳優みたいなこと言ってんすか!」って笑われました(笑)。でもよかったんです、あはは。

深いなあ! 演じることも全て、自分の中にあるものから出てくるようにも思いますね。

高揚感みたいなものは作り物じゃないですよ。本物でしょうけど、でも、今は、その高揚感を求めてやってるわけじゃなくて、それだけだったら、切腹やってないですね(笑)。そうじゃなくて、何かを願いながら、笛を吹いたり踊ったりできるような現場っていうのが、やっぱ自分は一番うれしいし、楽しい。でも、自分の楽しい気分だけを求めてやっているわけでもなくて・・・。楽しくてやってるだけだったら、それはそれで切腹やめていると思う(笑)。実際みんなとやってて楽しいですけど、でも、それより、世のため人のためじゃないですけど、世の中との接点として、世の中がちょっとでも良くなるため、やっぱりちょっとでも良い明日のため・・・ですね。切腹ピストルズはそういうものだと思っているので、あほな人ばっかですけど(笑)。なので切腹にもすごく「ありがとう」という気持ちでいます。それだけでやってる(笑)かな?

あれ、おいらあっち行ったりこっち行ったり喋りすぎじゃないですか?バカは良く話が飛ぶらしいですよ、大丈夫ですか、これ?(笑)話してるとちょっとのことでも、文にすると超いっぱいになったりするじゃないですか。なんかすげえ簑田さん大変そう!
おいらの話は、最後に全部(笑)をつけて短くていいですよ。半分くらいが「(笑)」で埋まってたら理想的です(笑)。

で、次に誰に話を聞きに行くかって決まってんですか? いちお東京が一番多いですよね、隊員。東京の隊員は、代々木公園とかにみんな集まれーって全員集めて、はい輪になってーって、ほんで真ん中にマイク置いて、さ、どうぞ!でいいんじゃないですか?あはは。

それ、いいかも(笑)。いやいや、お一人ずつ、じっくりと!

いやほんと、今日は半田屋さんの取材に遥々ありがとうございました。あはは。あぁー最後に、もし!もしですよ、万が一、この記事を半田屋の方が目にすることがありましたら、懲りずにまた越谷に半田屋を!ぜひ半田屋を越谷に!よろしくお頼み申します。(終)

 

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註一
ハレとケ
『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田國男(明治八年-昭和三十七年)が最初に提示したと言われる、日本人が過ごす時間軸の中での世界観を表す概念。「ハレ」は、非日常的で節目ともなる、年中行事や祭りなどの世界観。「ケ」は普段の日常で、そこに時折「ハレ」の時間が差し込まれ、人は日々を過ごしてきたが、柳田國男は、近代化によって、その境界が曖昧なものになってきたと指摘していました。

註二
仕事のこともお話していただきました。
「ウェブ屋をやってます。デザインとコーディング。蕨市に出て、そっから越谷に戻ってきたときに仕事探してたら、隣町の草加のホームページ屋さんで募集してたんです。職種的にはディレクターで、お客さんと打合わせしたりして、制作側ではなかったんだけど、制作にいい人が多くて、彼らのお手伝いをしているうちに、覚え始めたんですよね。ただ、その会社と組んでた営業会社のやり方がローン組ませてウェブサイト作らせるような営業で。見えないものを売る感じは嫌だな、と思って辞めて、そのあと一人でやってます。おかげさまでもう十年以上はひとりでやれているので、いやぁ、ほんとおかげさまだなと、ありがたいこっちゃ。仕事には特に何の誇りもないです(笑)、ないですよ。ただ会社とかの組織に属してないのはやっぱり性に合ってるんだとは思います。良くも悪くも、全部てめえのせいっていうのは、気が楽ですよね。難点と言えば、代わってくれる人がいないので、どうしようもなくても誰も助けてはくれないこと(笑)」

註三
大口真神(おおぐちのまかみ)。
おいぬ様、ニホンオオカミ。狼が神格化したご眷属(けんぞく)。

註四 
武蔵御嶽神社と切腹ピストルズの馴れ初めも伺いました。
「切腹の物販でニホンオオカミの西洋肌着がありまして。一番はじめのデザインが思いきり御嶽神社の護符のオオカミだったんですよ、もちろん無断拝借で(笑)。それで、もう三、四年前になるかな? 長野の公演に「私、御嶽神社の神主の娘です」って子が来てくれて。えぇー!!なんだってー?!と(笑)。それが橋本さんの娘さんだったんです。最初は「うちの護符、勝手に使って」って怒られるもんだと思ってたんですけど、怒られるどころか「どうぞどうぞ」って(笑)。そしてその年、御嶽神社の式年大祭で奉納演奏をさせていただくという、うちらとしたら、ありがたいばかりの願ったり叶ったりな運びとなり・・・。初っ端から懐の広さを感じました」

註五
『オオカミの護符』小倉美惠子・著 新潮社 2011年。新潮文庫2014年
高度経済成長期に小さな集落から巨大なベッドタウンへと変貌した川崎市宮前区土橋で生まれ育った著者が、実家の古い土蔵で見つけた一枚の護符。そこに描かれた「おいぬ様」への興味から関東・山梨の山岳信仰を探る取材の旅へ。小倉さんがプロデュースした記録映画『オオカミの護符-里びとと山びとのあわいに』(2008年)をもとに書籍化された一冊。狼信仰の入門書としてもぜひ。

註六
越谷しらこばと
久坂さんとは、現在「越谷しらこばと」という名前で、詩吟漫談のコンビを組んでいる。切腹ピストルズの寄席などに登場して、漫談の中で、観客に詩吟の吟じ方を、体を張って(?)教え、一緒に吟じながら、ちょっと不思議でなんだか幸せなノリで突っ走る。それにしても、なぜ詩吟?
「たまたまというか、うちの実家の前が先生の家なんですよ。鈴木さんっていうんですけど。子供の頃から鈴木さんって呼んでいたおばちゃんを、もう、ずっと先生と呼んでます(笑)。もう鈴木さんとは呼べない、あははは。もともと母親が先生に習っていて、家にあった教本を見たら、昔の和歌とか漢詩がいっぱい書いてあって、吉田松陰とか高杉晋作とかの句が載ってたんすよね。そこらへんからちょっと興味を持って、家の前だし、教室に行ってみて、ああ、いいなぁと。はじまりはそんな感じです。そんでちょっとしてむうにもはじめて、またちょっとしてひでろう君も。三人とも段位でいうと奥伝で、むうにとおいらは準師範の資格も持ってます(笑)。詩吟って難しそうに思えるかもしれないけど、詩の右側に、高い低いとか、どう伸ばすとか、上向いたり下向いたり、うにょうにょしたり、記号で譜付けがしてあって、先生の詩吟を聴きながら、それ見てると、ドレミファの譜面なんかより絶対わかりやすい。初めての人でも、なんとなくわかると思います。はあ、こういうことか、と。感覚で」

註七
『日本の祭り』傑作選
TOKYO MXテレビで放送されていた番組。残念ながらこのインタビュー前の二〇二〇年六月いっぱいで放送終了とのこと。

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挿絵|黒田太郎
聞き書き|簑田理香
取材・二〇二十年七月三日 川越市にて。
追加取材・二〇二〇年九月 電子網にて。