私の戦争体験記

毛利 且枝

宇都宮市
86歳

 あれは1945年7月12日の夜。私が10歳、宇都宮市立東小学校5年生の時でした。その日は、朝から大雨で、台風の様な雨風の強い晩でした。毎日毎晩の空襲警報で疲れ果て、「この大雨では、敵機も来ないだろう。」と家族全員(父母長女本人弟妹合わせて6人)無防備に蚊帳の中で寝入っておりました。
 突然、父親の大きな声がし、目を覚ましました。「焼夷弾だ!早く起きろ、逃げるんだ!!」
 私は 夢中で着替え防空ずきんをかぶり、救急袋を持ち、裸足で外に出ました。(靴を履いている時間がなかった。弟妹達は下着だけ着用)
 外は照明弾が投下され、昼間の様な明るさです。焼夷弾はガソリンを撒く為、雨の中、はだしで転びながら、私たち家族は、組内で作った防空壕に飛び込みました。その壕には5〜60名位の組内の人が入っていたと思います。
 まわりは全部火の海です。「防空壕にそのまま居たら、蒸し焼きになる!!」と大人達が判断し、この壕に入っているご近所全員が火の間をくぐり、すぐ近くの田川の堤防へ逃げました。雨と空から降ってきた焼夷弾のガソリンですごい勢いで何度もスッテンスッテンすべって転んだことを覚えています。
 堤防の草むらの陰に身を隠し、足元は、雨水の寒さに震えながら、真夜中、真っ黒の川の水面に燃えて流れる焼夷弾の火を見ていました。そこで夜明けまで水に浸かり、その後、防空壕に戻りました。
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   あとで聞いたことですが、他の地域で防空壕に残っていた人達は皆蒸し焼きとなり亡くなっていました。
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    空襲の時、こんなこともありました。組内の若いお母さんが、男の子3人を連れて、1番末っ子の1歳になるかならないかの女の赤ちゃんをおんぶして私たちと一緒に逃げていました。子ども達のお父さんは戦地に行っていて留守でした。空襲の異常な状況に泣き叫ぶ4人の子ども達をお母さん1人で連れて逃げていたのです。気がつくと、なんだか赤ちゃんは泣かなくなっていました。寝ているのかなと思ったら、赤ちゃんの脚がぷらんとしていました。お母さんが後ろの赤ちゃんに手を回すと、血だらけになって、脚が一本なくなって、赤ちゃんは、お母さんの背中ですでに死んでいました。お母さんはきっと無我夢中で逃げて気がつかなかったのだと思います。
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    翌日13日、朝になり、見渡すと、まわりは全面焼け野原、宇都宮の街がどこまでも遠く見渡せました。我が家ももちろん燃えて跡形も無くなっていました。庭の片隅にあった鶏小屋も全焼したのですが、父が飼っていた20羽ほどの鶏が、真っ黒焦げとなって見つかりました。何も食べるものがなくなってしまったので、父は焼け焦げた鶏の毛をむしって、その鶏を組内のご近所さん全員に配って皆で食べていました。しかし、私はお腹が空いているはずなのにどうしても食べることができません。昨晩からの悪夢、降り注ぐ焼夷弾とそれにより変わり果てた街とあちこちに転がる遺体の地獄絵にショック状態だったのでしょう。死体の焼ける鼻をつく異様な臭いがあたり一面に漂っていたのと、焼けついた道路の熱さは、今でも忘れられないです。
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    あの赤ちゃん以外にも組内の方が2、3人亡くなっていました。ですが、火葬するところもなかったので、焼け残った木柱を燃料にし、家の土台の石をかまどにし、火をつけ、その上に遺体を寝かせ、そしてトタン板を被せて火葬しました。あの赤ちゃんには誰が持っていたのか真っ白いサラシが被せられて、トタンの上で焼かれました。そのお母さんは、「この子がこんなになっちゃった。」って泣き崩れていました。本当に可哀想でした。トタンと人が焼かれる異様な臭いとともにあの光景は忘れることができません。
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    また、空襲の時、田川の中に飛び込んだ人がたくさんいました。川に飛び込んでも助からず、遺体は皆真っ黒焦げでした。私は押切橋を歩いていたとき、偶然ある光景を目にしていました。消防隊の人が、田川の中の真っ黒焦げになったたくさんの遺体を鳶口(魚市場でマグロなど大きな魚を移動させるのに使う道具)で川から引き揚げていたのです。それをなんとなくぼ〜っと見ていたら、私に気が付いた消防隊が、「見るな〜!!早くあっちへ行け〜!!」と私に凄い剣幕で怒鳴っていました。私はすぐにその場を立ち去りました。

 空襲後の地獄絵に、私の心の中は、絶望感でいっぱいでした。家なし、食べ物なし、水、風呂、履き物なし、自分の体しかないのだということを実感しました。誰もが皆同じです。
     淋しかったー。わびしさと恐怖で私の体は押し潰されたような感じでした。興奮状態で胸が詰まって、食欲もわかず。空腹のはずなのに、何にも感じない自分がいました。魂の抜けた、空虚の自分でした。
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    家が焼けて、夜寝るところがなくなり、10日位野宿生活が続きました(7月12日から7月22日くらいまで)。皆疲れが極度に達してしまい、組内仲間で、蔵が焼け残ったところを間借りすることにしました(千波町あたり)。藁を敷いてぎゅうぎゅう詰めで身動き出来ずでしたが、なんとか屋根の下で寝ることができました。  
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    野宿が続いた数日後(たぶん7月20日前後)昼間に醤油の配給があるとのことで、いちばん上の長女だった私は、上町の戸祭町の方の酒屋に行かされました。空襲で焼け野原だから街が街でない、道もどこが道だかわからないようなところを同じ組内で家が隣だった一つ上のみっちゃんと出かけました。私は、左右サイズの合わない小さなワラジをなんとか履いて、配給のお醤油用の一升瓶を抱えていました。やっとのことで、ほんのちょっとの醤油を分けてもらい、今の清住町から亀の子坂を歩いて、栃木県庁があるあたりに差し掛かった時でした。(県庁は焼け残っていました。)
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    真っ黒な鳥の大群みたいな編隊の機銃掃射が、低空飛行でバババババっと県庁通りを行き交う人々を狙い打ちしてきたのです。その時、たくさんの女子中学生の姿や、馬車や、荷車を引く人々で通りはごった返していましたが、あっという間に人々も馬も機銃掃射にやられて倒れ込んでしまいました。私は、みっちゃんに「さぁ、どうしよう。みっちゃん機銃掃射だよ。これ!どうすんの?」と言ったけど、みっちゃんは「しょうがないよね。」と言って、2人で、遺体を飛び越えて、逃げましたが、機銃掃射は、追いかけてきます。その時、県庁のすぐ前の官舎が一軒だけ残っていて(今の宇都宮総合文化センターあたり)そこは門被りに大きな松の木があり、その陰に2人で隠れました。私たちカラダが小さかったからなんとか松の陰に隠れることができました。
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 そこで数分ブルブル震えていると、機銃掃射に馬がやられた馬方が、私たちが隠れている門被りの松に子どもの私たちを押しのけて急に入ってきたのです。そしたら、私たちは、はみ出してしまい、狙われてしまいます。人の家に入るのは怖かったけど、咄嗟の判断で、その官舎の勝手口が開いていたので、そこに入って隠れました。その官舎は誰もいませんでしたが、部屋の中で、「大本営発表!大本営発表!」とラジオだけが大きく鳴ってました。そのうち、だんだん外は静かになってきて、ラジオは「銚子方面に逃走せり。」と言っていたのをはっきりと今でも覚えています。私たちは無事でした。「みっちゃん、もう行っちゃったから帰ろう、早く行こう!」と言って、それからどんどん駆け足で帰りました。着いた時にはもう心臓が止まりそうでした。機銃掃射に狙われたけれど、逃げ延びました。あれはすごい小学校5年の体験でした。(醤油瓶は離さず無事でした)
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   あれからみっちゃんと会っていません。九死に一生を得たあの体験を共有したみっちゃんと話したい。ずっとずっとそう思っています。
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   私は、戦争時の体験を語るときは、いつも涙が止まらなくなります。7月のあの夏、2度も空襲に襲われ、命辛々逃げ延びて、今の私があります。
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    戦争は大勢の人々を巻き込み、極限まで苦しめ、たくさんの犠牲者を出します。戦争は二度と繰り返してはならないのです。このような大きな犠牲の上に現在の平和があることを私達は絶対に忘れてはならないと思います。     (2021年3月)
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*写真は、宇都宮市内の小学校で戦争体験を語ったときのもの。2021年3月)

ワレイキル 
ユエニワレアリ

松永 玲美

益子町
マツナガレミ主宰

ふと気付きました。私たちは、私たちが作った言葉にがんじがらめになっているんだ、と。「私たち」は語弊があるかもしれません。少なくとも「わたし」はそう感じています。言葉に閉じ込められ、生きる術を失っていました。
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とある先輩から「れみはれみでいいんだ」という言葉を受けました。わたしは誰なんだろう。誰でもないわたしに気づくのに、たいそう時間が掛かりました。

「わたしはわたしでいい」は、わたしという人格と人権を私自身が受け入れるということでした。
「みんなと同じく」から「わたしはわたし」への切り換えはとてもしんどかったですが、今はとても楽になりました。
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だから思うのです。私たち自身も、未来の子どもたちにも「わたしはわたしでいい」そこに人権が保証されているんだよ、と。そんなメッセージを、言葉でも日々の生き方でも伝えられるように、生きていきたいと思います。

瞬間を生きる

倉本 祐樹

市貝町
わたね 主宰

自然の中で土にまみれて汗かいて
綺麗な夕陽を見て美味しいごはんを囲んで夜はぐっすり眠る。
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理想の暮らしのイメージは大体こんな感じ。
時の速度が目まぐるしく早く感じてしまう。
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不便とひと手間を楽しむスローライフは
日常やりたいことがいっぱいあるのだ。
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幼い頃に「未来にこんなものがあったらいいな」と

世間が夢に見たようなものは
今となっては大体のものがかたちになっているらしい。
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何かと求められる速度が加速する。
液晶画面を見ることが日常化となった忙しい社会は、
綺麗な空を見上げることを忘れさせるのだ。
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身体と心が震えるような「生きた経験」をこどもたちへ。
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                                                                    Photo :Shiba Miyuki

見ている世界と望む世界

小山田 譲

宇都宮市
中学3年

失敗が怖いのか、立場、地位を失うのが怖いのか?メディアに流れる大人たちは真実や正義が感じられない。そして失敗や犯罪をしてもその責任はたらい回し。最後に記者会見を開き、謝罪には程遠い一言。僕は、そんな大人にはなりたくない。 そんな大人達を見させられている僕たち子どもは何を目指したらいいのか?未来が見えない。

しかし、ありがたいことに僕の周りには大好きな大人や先輩達がいて、僕たちへの言葉がけがいつもかっこいい。本気で応援してくれる、応援団の団長、個性的な生き方のカリスマ花屋さん、芸術家さんetc。色んな大人に出会った。その中で全て言えるのが、僕たち子どもがどんなに大きな夢を語っても、笑わないで応援してくれる大人たちだということ。そんな大人は社会のほんのひと握りなのかな?でも、これからは、自分の夢を語っても笑わない、本気で子どもたちを隣の人を応援する社会になって欲しいです。

多胎児支援からの
つながりをひろげていきたい

山本 緑

下野市
双子(多胎児サークル)さくらんぼ
小山会ボランティア

環境問題や社会的孤立、子どもの貧困にアンテナを張っている専業主婦です。強いて言えば双子を授かり出産したこと。今は多胎児サークルのボランティアをしています。
子ども1人でも慌ただしいのに同時に2人や3人とともに生活をしていくことは、小さいときほど、特に母への負担は大きいです。少子化時代の今こそ、同時に2人や3人を育てている方たちへのサポートを広げていきたい、広がって欲しいと願っています。

そしてそれは、社会的孤立や子どもの貧困の予防や縮小にもつながっていくことです。多胎児支援という切り口から孤立しない子育てを目指し、私がこれまでたくさんの人から受けたあたたかさのバトンを次へつなげていきたいと思っています。

 

未来の長寿社会に向けて

中村 あつこ

地球 Paris
元外資系航空会社勤務

遠隔で高齢の両親の支援介護をしながら私も還暦を越えたばかり。AIをはじめ先端科学、高度な医療治療が 人類の寿命を100歳も可能にしていく未来。寿命延長が科学技術 医療で実現しても、人生の幸せの延長時間にさせるには当事者も社会にも大きな課題があると実感しています。少子化の未来 子供達は私たち未来の高齢者を長い間背負いつつ未来の社会を構築していかなくてはなりません。

誰もがこの高齢社会の未来に向け向き合う課題。主体性を持ち自らの一生を心地よく最後まで過ごす未来へ 今早急に在宅医療の環境づくりが必要と思います。
人口問題 海外からの移民受け入れ AIなどの介入も必要ですが、何より様々な人をつなぐ地域社会の連携感こそ 長い高齢期を孤立せずに 死と穏やかにむきあいながら自らの一生を過ごせる在宅医療の環境づくり。政治への期待とともに当事者として社会での役割も大きいと思っています

子どもたちの未来のために
今を生きたい

吉田 亜紀

鹿沼市
暮らしの根っこ 主宰

毎日をただただ過ごしていると、今の社会が私たちのためにあるのか、それとも私たちが社会のためにあるのか、そんなことにも無意識になる。 意識していたい。  私たちが主人公だという事を。
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でもそれはあなたも私も、動物も植物も微生物も命あるものはみんなが主人公であり、主役も脇役もない。だから無くてもいい命も排除していい命もない。命を与えられた者はみんな平等がいいし、笑顔でいて欲しい。

国と私たちの在り方もそう。
世界に誇れる平和憲法と言われている日本国憲法に、国民主権とある。主権者は私たちひとりひとり。
この憲法にあるように、みんなが当たり前に生きられるように、違和感に気づいたら立ち止まり考えること。そして何よりも今、私たちが意識的に生きていくことが、子どもたちの生きる未来に繋がるという事なのだと思う。未来を生きる子どもたちが夢を描き、笑顔で生きられる社会をのこしたい。

everyone happy

杉山 碧人

宇都宮市
高校2年生 サンタらラン実行委員長

everyone happy。
私を含めた4人の高校生を中心に企画したイベント、“サンタらラン”で大切にしたことです。サンタらランとは少しでも貧困に苦しむ子どもたちの力になろうと寄付金を募り、サンタの格好をして日光の街を駆け抜ける(笑)というイベントです。
みんながhappyになれること。それこそが大切だと思うんです。意地悪しちゃだめ!ものを盗んじゃだめ! なんでってhappyになれない人がいるから。

だめっていわれたからやらない、じゃなくて、みんながhappyになれないからやらない。人に言われたからではなく、自分で考えて踏みとどまれる人が増えて欲しい。そう思います。
everyone happyをみんなが考えながら行動できれば、もっともっと世の中に笑顔が増えるんじゃないかなー。みんながhappyじゃないことをしないようになるどころか、周りをhappyにしてあげようと行動できる人が増えるんじゃないかなー。

笑顔あふれる
社会がいいから

高野 絵理

宇都宮市
学童支援員

子どもって凄い。友達の長所を自然と褒めることができる天才だと、学童支援員をしていて思う。でも、褒められた子にとっては当たり前の事だったりもする。
災害ボランティアで出会った人達は凄い。「ありがとう」と「お互い様」で繋がる世界があるから。自然と誰かの笑顔のために協力し合う。誰にでも救われて前を向けた経験があるから持てる「お互い様」の気持ち。だから、今もできる時にできる範囲でお手伝いを続けている。

私は子ども達へ「ありがとう」の大安売りをするように心がけている。些細な事で褒められ感謝されると自信がつく。
子ども達がありのままに胸を張って歩めるように、隣人と手を取り合ってこれからを生きることができるように、背中を押したい。

親も子どもも
安心に暮らせる家庭を

片桐 秀子

さくら市
マイツリーペアレントプログラム 
とちの木グループ

栃木県で、マイツリーペアレントプログラムを実践しています。森田ゆりさんが開発した、暴言、暴力といった子どもにダメージを与えている親のための回復プログラムです。学校や地域の居場所でどんなに安全な場所を作っても、一番長く過ごすのは家。好むも好まざるも帰る場所は自宅。子どもらしい時間を、安心な環境を、と思うと、やはり親に変わってもらわなければなりません。

そして…、虐待をしている親もまた、安心で安全な子供時代を送ってこれなかった人たちです。実践者は、教えることはしません。気づきのきっかけとなる学び、場を作っていくだけです。親も子どもも安心に暮らせる家庭、社会を作っていきたいです。

受け取ってみよう

山田 哲也

宇都宮市出身、埼玉県在住
農業、ダンサー

あなたは、全てをあなたの物差しでしか見ていない…
そう言われて愕然としたことがあった。
物差しを持つことが大切だと教えられてきたからだ。
その日から、全てを変えてみようと決めた。
職場では自分の意見は捨て、即興のダンスでは、自分の意思では動き出さないことにした。

あの日から5年以上が過ぎた。即興でダンスを踊ることで、自然界が傾聴=受容と共感で成り立っていることに気がついた。そして、人間だけが取り残されていることも…
社会を見てみると主張と主張が常にぶつかり合っているように感じる。まずは相手の話を聴いてみることから始めてはどうかと思う。聴くということは、話の目線を合わせるということだ。そこに自分は必要ない。相手自身になるのだ。私の思うこれからのリーダーに必須の資質は、この感覚を持ち合わせることが大前提だと思っている。  写真:上岡智子

私たち抜きで決めないで

中田 芳幸

宇都宮市
みらい・ともに・すすむ代表

障がいのある子どもたちの教育に携わっています。また、東日本大震災をきっかけに、障がいのある人や、支える人たちとともに、どのような社会がよいのか考え、微力ながらできることに取り組んでいます。今は、若い人たちや子どもたちに積極的に声をかけて活動しています。

障がいのある人と政治を考えるときに出てくるのが、「私たちことを私たち抜きで決めないで(Nothing About us without us)」という言葉です。当事者を抜きにして進めるなということです。こうしてあげた方がいいのではないか、このほうが効率的ではないか、ではなく、きちんと対話してきくことが大切です。障がいのある人たちの声をそのまま伝えられる感性をもちたいと思っています。

圧倒的な一瞬

妻木 律子

宇都宮市
舞踊家 

情報を共有する連帯が際立つこの時代、
ささやかでも、場を共有する連携を頼りに
現実を受け止めることを大切にしたい。
私のダンスクラス、始まりの挨拶を終えたら、走る、ただ走る、
それだけなのに幼児のCちゃんが走りながら笑顔で叫ぶ。
「なんだか 楽しーーーーい」。

その声は、言葉は、最高の響き。
共にあること、訳や理由などなく、
その場にいる現実の喜びと発露がもたらす圧倒的な一瞬でした。
いま、ここにある生を共に感じあう《場》が、益々希少になるこの時、
身体を個人を社会を育むこと、スマートにうっすらしてはならない、
圧倒されるほどの強度をもつリアルな一瞬を日々の中に探したい。
(写真:上岡智子)

わられっちゃうかんね!!
(誰かに笑われちゃうからね!!)

三厨 由美

宇都宮市
しあわせダネ!八百みく
野原で遊ぼう 主宰

小さい時、まわりの大人が言っていた言葉だ。この言葉で私は自分を縛ってきたなと大人になってから気がついた。大多数の意見が正しいと思いこみ、正解を探す勉強ばかりで自分の感覚を後回しにし自分の答えに自信が持てなかった。
今、コロナ禍で同調圧力という言葉が目につく。お互いのマスク着用チェックで子どもたちの世界も大変そうだ。大笑いやじゃれあいも聞こえてこない。

自然の中で遊び切るという感覚もないまま大きくなっていくのか? おとなしく枠の中にいることが平和なのかな? 今、誰にも笑われないように生きることにより、その後私たちの社会の変化をどう望むのだろうか。 私たちひとりひとりがこの国の宝物のはず。それぞれがイキイキと生きるために、大人が枠からはみ出る勇気が大切ではないか? 笑われることを怖がる前に、私は自分から笑っちゃおうと思う。自分の人生を生きるために。

憲法から「私」の権利を
知ることで。

日下田 すみれ

真岡市
~おとなりさん~店主

私は、~おとなりさん~というちいさな八百屋を自宅で月2回始めました。だいすきな友人が作る野菜を知ってもらいたい。自分たちが暮らす地域に、どんな人がいるのか。知り合い、ゆっくり話ができる場所になるといいなぁ、と思いながら続けています。~おとなりさん~を始めようと思い、行動ができたのは、数年前から友人たちと学び始めた憲法がきっかけになったのか? 今、書きながら気づきました。憲法を学ぶことで、私の頭の中で『考える』という作業が少しずつできるようになってきたのです。

今までは『考えた』つもりになっていたけれど、うまく機能していないことが多くありました。そんな時、とてももどかしかった。説明することも苦手でした。あ、今もかな?笑。憲法を知らなくとも、きちんと考えることができる人はいるでしょう。でも私は、憲法を学び、自分の権利などを知ることにより、はっきりと自覚できたのです!とてもしあわせです。
他の人も、憲法を学ぶことから色んなことに気づき、豊かな暮らしに繋がることがあるかも知れないなぁ♪と、わくわくしているところです!

もうひとつの○○
オルタナティブという考え方

宇賀神 雄太

栃木県栃木市
デモクラティッスクールつながるひろば

オルタナティブ教育に学生の時から関心を持ち続けています。オルタナティブ教育とは、主流の教育とは違う教育、少数派の教育という意味です。このオルタナティブ教育が教育や社会全体にとって大きな意味をもつと考えます。農業の世界では土の中にいる種類多き微生物が作物の成長に大きな役割を果たしています。

「多様性」や「予測できない未来」という言葉をよく耳にする今日において、オルタナティブ教育の果たす役割は増しています。コロナウィルスが大きく社会を揺るがしている今、このオルタナティブ教育が存続の危機にあります。人々や社会の思考が停止、縮小してしまうことは、子どもたちが学校教育を通して戦争にまきこまれたこと、原発神話、他、私たち人間の大きな反省だと思います。

地域の子どもは、
地域で育てる。

福田 聖子

栃木県鹿沼市在住
おもん店 代表

中学校の教員を早期退職し、息子の一本杉農園というパン屋と、母のおもん店という雑貨屋を手伝っています。どちらも地域密着型の小さなお店です。教員時代は、不登校の子供たちの援助の仕事に携わっていました。子供が元気になって活動するエネルギーをためるには、ありのままの自分を理解してくれて信頼できる人が必要だということを痛感してきました。

南摩地区の地域パトロールカーは、「地域の子供は地域で育てる」と毎日アナウンスしています。多くの目が子供たちに注がれている、大人たちも理解し、協力し合える、そんな地域でありたいと思います。そして私たちの店が、誰でも気軽に交流のできる場所、さらには何でも話せる心休まる場所になれたら嬉しいと思っています。

子どもたちの環境を考えて

小山 博子

栃木県益子町
建築業、企画・設計デザイン担当

私は、人口比に合う公平な割合の女性政治家がいる社会を望んでいます。それは、魅力ある男性政治家が公平に存在する社会ということでもあります。
政治の影響力は強烈です。政治をする方たちには、力のある大きな声を拾うことよりも、助けを求めることができない子どもたちの今と未来を考えていてほしいです。政治の世界全体で豊かな想像力を持ち、公平な社会を目指してほしいです。そのために、政治の決定には公平に多様な角度からの視点が持ち寄られ議論されるべきなのだと思うのです。

私たちは身近なところからも考えなくてはいけません。例えば家庭内であっても、仕事や家事育児に男女偏った負担を持たないよう話し合い協力し合うことがごく自然な社会にしなくてはいけないです。結果として家族の一人一人が幸せでいられることを子どもたちに知っていてほしいとも思います。
人の意識が無意識に変わる頃、きっと近い将来に、女性政治家がバランスよく存在する環境が整うことを期待します。

まわりの人を思い、
その先に社会や政治を。

海汐 裕之

栃木県鹿沼市在住
おでん屋 湯気 店長

僕が栃木に来てから2年が経ちました。
「大切な人と一緒に居たい」ただそれだけの理由で来た栃木で、今はたくさんの人と出会い素敵な経験をさせてもらっています。
栃木に来る前はずっと一人で旅を続けていました。いろんな人に出会いましたが、どの国の人も笑顔がある時は誰かと一緒に居る時だと感じる事が多くありました。

僕にとって、朝日が昇ると同時に仕事を始め、日が落ちる頃には家路に着き、キンキンに冷えたビールを飲みながら誰かと語り合う、そんな当たり前のような事が出来る日々はとても素敵だと思います。
そして、そんな暮らしを続けていきたい。単純かもしれませんが、それだけで十分です。自分の周りに暮らす人と深く関わり、思い合い、その先に社会や政治を考える。単純だからこそ、シンプルに。

課題の循環

まなみ

栃木県
大学生

私は、現実の課題が気軽に共有され、改善される社会で生活したいです。
「1人で解決しようとしない、自分だけの悩みではなく社会全体で誰かは同じ問題で悩んでいたと気がつける」。
政治に改善してほしい現実があっても、自分達だけ我慢すればいいと思っていました。そうやって生きてきたら、そもそもこれは政治が解決する課題なんだろうか?

やっぱり自分で解決しなきゃいけないのか、政治に私は何を求めているのか分からなくなりました。これおかしいなって思ったら、自分だけが我慢せずに気軽に共有できる。声をあげることや無力感から脱した空気感をどんな立場の人も身につけることが当たり前になってほしい。最初の望みに加えて政治には、その声が反映され、誰でも確認や評価を行いやすい仕組みの整備をしてほしいです。

 

もしも誰かより
少しでも恵まれているならば

廣瀬 俊介

栃木県益子町
環境デザイナー

本の好きな子に育ってほしいと、両親はたくさんの本を買ってくれた。
美術大学へ行きたいと言うと、受験の準備をさせてくれた。
バブル経済のなかで、デザイン事務所に就職できた。
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個人事務所をつくって独立したあと、大学教員としてもはたらいた。
東日本大震災が起き、被災者の求めに応えて研究奉仕活動を始めた。
そのなかで、社会も、政治も、根本的に不公平だったとわかった。
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どこに生まれたか、どの家族のもとに生まれたか、大学を出たか、
出たのはどの大学か、働き先はどこか…そして何よりも、性別…。

それで意見が重みづけられる。そのはじまりは、公平じゃない。
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不公平な社会と政治をつくったのは、政治家と追従者ばかりでない。
その恩恵をうけてきた人や見て見ぬふりをしてきた人らも
状況を保つ力になり、不公平に苦しむ人びとをそのままにしてきた。
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自分の今が誰かの犠牲のうえにある状況に、私は沈黙していられない。
私の世代の男性には特に、社会と政治を公平に正していく責任がある。
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政治的? 立派? …いや、社会人として当たり前に考えているだけだ。

自分にとっての
理想の暮らしとは?

福田 大樹

栃木県鹿沼市
一本杉農園 代表

鹿沼市で畑を中心に、パン屋、カフェ、おでん屋を営んでいます。周りを見渡せば田畑が広がり、その先には里山がある。僕はこの風景が好きで、この環境の中で心地よく暮らし続けたい。田畑を受け継ぎ、近くにあったら嬉しい場所や店も少しづつ揃えて、自分にとっての理想の暮らしを考え続けています。「自分にとっての理想の暮らし」とはどんなものか。その答えはライフステージによって移ろい、知識や経験が増えることでも変わる。

普遍的な答えはない。だからこそ面白いなぁと、人と比べたり、過去の理想との差異を感じる度に思います。でも今は、それを考えるための時間や機会が少ない。考える助けになるのは、たぶん哲学や歴史を学ぶことや、異世代異文化の友人を持つこと。社会にそれらの機会を楽しく得られる仕組みが欲しいです。もっと多彩な理想の暮らし像が見られて、ワクワクする社会になりそうだから。

想えば叶う、そんな時代へ

高野 弓佳

栃木県宇都宮市
パラレルワーカー

眠らない街 “香港” からお嫁に来て7年、知らぬ間に栃木に魅了され、いつか此処で「自然に囲まれ好きな事だけして暮らす」夢を描き始めています。子を授かり共に生きるようになって、やっと世の中を真剣に見つめ始めました。本質を知ろうと強く思い行動すると、その答えが自ずとやって来る。きっと人生はその繰り返しかもしれない…。いろんな意見があって良いし、多様性の中でお互いを認め合えれば良い、その常識は誰かの非常識かもしれない。

自ら思考し、己で決めていきたいと思うし、違うから分断するでは無く、皆が心地良い “どこか” を見つける為に心を通わせたい。そんな生き方を子どもと実践して行こう。未来を生み歩んでいく子ども達へ、私はいったい何ができるだろう?いつも問いかけるばかりだけど、その根源には、すべて「愛」があってほしい…と願っています。想い交われば、繋がり叶う。そんな時代へ向かって皆と生きて行きたいなぁ。

対岸をイメージする

平野 拓也

兵庫県神戸市
グラフィックデザイナー/神戸市クリエイティブディレクター

3年前からデザイナーをしながら神戸市役所でも働いてます。学生時代からデザイン業を追求していきたい! と思っていたので、10年前の自分なら参画してなかったかもしれません。ですが、今は一人ひとりが思考し、当事者としてアクションしていくことが重要だと思います。「おもう」だけでなく小さくてもできることを、と思い現職に就きました。

デザインの恩師が「半径数メートルの方々のために」「人のために出来ないならデザインするな」と仰っていたのが、独立した今でも大事にしていることです。最近はそれに「いま住んでいる場所の対岸をイメージする」ことを意識しています。できるだけ主観的にならず、いろいろな視点や立場をイメージすること。どんな時でも足元から、そして地続きにいる見えない方々へのイマジネーションを。できれば(無理せず)アクションを。

いろんな個性を
大切に認め合う社会に

小島 久美子

栃木県鹿沼市在住
カフェ店員

私は家族友人職場や見ず知らずの人に支えられ日々暮らしています。以前の私は人と関わるより一人でいた方が楽で楽しいと感じていました。もっと広い視野をもち人との関わり、行動することを大切にしようと思ったとき、一人では経験できないことワクワクすることがたくさんあると気づくことができました。

暮らしの中にたくさんの個性が集まって、色々な観点から彩りを加えていくと新たな発見ができると思います。あっという間に過ぎてしまう1日でも小さな幸せや喜びを感じることができる。今後、今よりももっと好奇心や探究心、個性を大切にし、認め合うことができる社会が当たり前になれば、毎日の何気ない暮らしにワクワクする事が増えていくんじゃないかと思います。

目の前のことから、
世の中のことへ

濱野 将行

栃木県矢板市
一般社団法人えんがお 代表理事

私は今、高齢者の孤立の予防と解消を掲げ、様々な世代の力を生かしたまちづくりに取り組んでいます。おじいちゃんおばあちゃんや学生と様々なことに楽しく挑戦する毎日です。地域に密着しながらも、大きな視点で「社会」や「国」のあり方、あるいは「政治」を見ています。 私たちの活動は、どれだけ目の前を大切にできるかが鍵です。

そういった 意味では、多くの人の「違和感」や「NO」を無視して進んでしまう今の政治のあり方に、不安や疑問もあります。そして若者が「どうせ反映されない」と、一層声を上げなくなってしまう恐怖があります。一人一人がもっとハードル低く政治を考えられるあり方を、自分も模索していきた いです。

他者を思える社会に

山下三奈

那須塩原市
パン屋

先日息子が自転車で公園に行く途中、知らないおじいさんに声をかけられ携帯の使い方を尋ねられたそうです。家に入って色々試して解決でき、お礼にジュースを頂いてきたとの事でした。それを聞いた時「いい事したね」の前に、知らない人の家に入ったことに「気をつけてよ」という言葉が私の口から出てきたことがずーっと胸に引っかかっています。

最近の世の中、他者への壁がどんどん高くなっているなぁなんて、憂いていたつもりの自分がこの有様。反省です。家族、友達、ご近所さん、目が合った人、すれ違う人、言葉を交わした人、そして遠くの誰か。色んな人を思える自分に、社会に、なるといいなぁ。

「心への手当て」を
大切にする社会に

木村順子 

栃木県宇都宮市
高校非常勤講師、2児の母

私が、約20年間中学校で教師をし、その後、縁あって現在通信制高校で働く中で、今教育に求められているのは「心への手当て」だと感じています。私の父は鍼灸師で、幼少の頃からそして現在も、私を含め家族全員父の治療で癒され、まさに「手当て」の偉大さを実感しています。ツボをとらえ、必ず回復するという安心感があるのです。私が教師として働く中で大切にしている寄り添う姿勢は、父の姿から学んだのかもしれません。

社会は便利になりますが、教育現場はより個性に寄り添う教師の力が必要になっています。AIには代わりはできません。教師は、様々な経験をし、子供たちの声を聞き、声をかけていく。心に寄り添う方法はいろいろあるはずです。私も、一人ひとりの良さや、個性や障がいに応じたツボを外さぬ支援を目指していきたいと思います。

地球を
肌で感じて暮らすこと

中山 創

栃木県鹿沼市
Aana Jaana 代表

鹿沼生まれ。市内で印度料理を生業にしている日本人男性。都市部へ出てのち、Uターンして鹿沼暮らしを始めて4〜5年経つ。それまでの都市での生活様式がまるで変化した。鳥のさえずりで目覚める。土を耕し作物をつくる。生命をいただき、また地へ還す。子らは日々裸足で走り回り地球を肌で感じている。

人と土地、人と人の関係性も今までよりも重層的になった。この数年で、自然の中で暮らすことは生きることと心底実感した。人間が自然の一部として在るということ、この概念が、時が進むにつれて薄まっている気がしてならない。より良い社会へ向かう為には、個々が幅広い意味での原点体験を常日頃から意識できるような仕組みが必要なのではないかと思う。

働く権利と家事をする権利

岡田 真理子

栃木県宇都宮市
幼稚園児と小学生の母、主婦、パート勤務

最近、私が働きに出るようになって、夫がひとりで家事をする日ができ、夫も私に気がねなく自分のペースで家事が出来るようになっているようです。以前は、主婦として家族の生活を全て整えるのが仕事と思っていたので、夫が家事をしているときも、主導権はいつも私が持ったまま。つまり本当の意味で夫婦間での分担が出来ていなかったのです。私が自分のお金で生活したい(働く権利)と思うのと同じくらい、夫にも妻の世話にならず自分の生活を整えたい(家事をする権利)という思いがあるのだという気づきを得ました。

まだまだ家庭で過ごす時間が長くなりそうです。自分の生活を自分で整えるという家事(平たく言えば自分の気分にあったものを作って家族で食べるようなこと)も自分のお金で生活することと同じくらい重要で魅力的なことだと思います。この2つを夫婦がどんどん取り合って家庭の中で平準化していくことが、これからの創造的な家庭生活につながると思います。(写真は詩人のアーサー・ビナードさんと)

子どもが育つ環境をみる

倉本 芙美

栃木県市貝町 
有機農家

小学校の「道徳」が教科化されたのはみなさんご存知でしょうか。子どもがどの様な環境で育っているのかと言うことに意識を向けることは私にとって自然なことであり、ぱらぱらと教科書を見渡しました。小一の教科書には、廊下を掃除する子や仲良く友達と遊ぶ子は◯、先生の言うことを聞かない子、友達に意地悪をしてしまう子は×、という答えになる問題が掲載されていました。結果だけを見つめ、評価していく・・・。果たしてそれでいいのかと疑問を持ちました。

意地悪した子は、朝とっても嫌なことがあったかもしれないし、先生の言うことを聞かなかった子は寝不足だったのかもしれません。そこに至るまでの背景をイメージする事も大切だと思いますし、答えが用意され、一つの価値観にはめていくというのはいかがなものかと感じました。この教科書が良いか悪いかではなく、なぜこの様な内容になったのか、どの様な意図で何を伝えたいのか、そんな事を政治や学校に任せきりにするだけでなく、私たちも考え続ける事が必要だなと感じています。

一人ひとりの行動が
未来をつくる

松下 曜子

益子町
陶芸家、「九条の会ましこ」事務局
ときどき家庭菜園主

里山暮しと手作りの焼物に魅せられ益子に住み始め、半世紀近くになります。修行・独立し築窯、結婚・子育てを経て子供達も独立し、自身の時間もできた頃に観た映画「ベアテの贈り物」をきっかけに、日本国憲法に改めて興味を持ちました。映画はこう結ばれています「この憲法は人類の叡智である」と。

その後上映会のメンバ-の会に加わり、月1度の憲法勉強会やサイレントスタンディング。社会の様々な変化・問題を扱う映画の上映会・講演会の開催などの活動に繋がっています。「学ぶこと、場つくり、発信すること」ひとりひとりの行動が明るく健やかな未来を創っていくと信じ、願う今日この頃です。

自分の力で「生きる糧」を
つくるということ

石原 潤樹

栃木県鹿沼市
芽吹音農園 代表

鹿沼市で小さい農業をしながら週末はおでん屋で働いています。豊かな生き方、暮らしってなんだろう?と思い、有機農業を学んでから色々な人に出会い学び助けられ生きてきました。農業をして暮らし始めてからは、毎日食卓の上に自分達の手で育てた野菜達が並びます。この自然の恵みを家族で食べる時間は、何にも代えがたい安心感と幸せを与えてくれます。

そんな日々を過ごしていると、全員が食べ物を自給できたら社会も良くなっていくのではないかと思うようになりました。自分や家族が食べる食材は可能な範囲で自給すること。経済社会を生きるために仕事を持ちつつ、買うことも前提の上で1つ2つからでも時間と体力の許す範囲で自分の力で食べ物を生み出す。1人1人がプランターでも庭先でも小さな菜園を持って農に携わる社会になったらいいなと思います。

それは、
私の、私たちのお金です

簑田 理香

栃木県益子町
個人事業主:企画者・編集者

オカネヲトウニュウシテクダサイ、オカネヲトウニュウ・・・
たまに行くスーパーのレジに自動精算機が導入されていて、小銭出すのに手間取る私は、耳障り良いとは言えない合成音声に急かされイラっとする。お札も小銭もただ機械的に穴から吸い込んで行く自動精算機め、おい!ちゃんとスーパーで働く人の幸せに貢献しているのか!
ゼイキンヲオサメテクダサイ。ゼイキンヲオサメテオサメテ・・・
帰宅するとポストに税金徴収用紙が届いていた。

国や県や町から、合成音の声が聞こえてくる。この春8年ぶりに給与生活から個人事業主に戻り、コロナ禍もあり失業状態となった私へも、もちろん容赦無く。給与天引き時代は税金の使われ方に関心が薄かった自分を恥じる。税を納める者の義務として血税の行方は注視するし、おかしいことには声を上げるのだ。お友達優遇や政治献金めあての利権差配しか頭にない政治家め、おい!国を壊し人の暮らしも心も壊す数多の愚策に税金使うな!

 

農政の窮状から
自らの主権を渇望する

黒川 泰延

小山市
黒川いちご園 代表

「君たちが対峙する脅威とは、外国資本の傀儡と化した自国政府であり、生存権すら無効とする壮絶な搾取であり…」 若者向けのある本の前書きの一節だが、自分の心にストンと落ちた。いちご農家の自分にとって、TPPやFTAに関連した種子法廃止や種苗法改正案さらには栃木県種子条例など、民意に反して生存権や農家の権利が踏みにじられ続けていることが疑問だった。

孤独になりがちな農作業の合間、スマホを片手にしたSNSへの投稿は触れ合いのためから、いつしか政府への抵抗のためのものへ。これまで「主権在民」や「主権国家」など政治の常識とされてきた事柄が、いま冒頭の一節と共に大きく音を立てて崩れているように思えてならない。

いま できること
小さな ひとしずく

井田 紫衣

栃木県矢板市
子供の未来を考える会ハチドリ代表

子どもたちの未来を考え、できることを見つけて活動しています。なかでも力を入れて地 域で取り組んできた甲状腺エコー検査が、コロナ禍にあって今年は中止になりました。原 発事故による放射能汚染の健康影響はまだまだ分からないことが多く、長年にわたって検 査する必要があると思うので、とても残念です。いま感じるのは、国の感染症対策が小児甲状腺がんへの対応と同じだということ。

「見えな いもの」をごまかしていては、子どもたちの良い未来なんて作れるはずがない。政治には、 誠実さを求めます。3.11 以降、私たちは専門家や政治家だけに任せていてはいけないんだと 気付きました。私のできることの「ひとしずく」は小さい。繋がってたくさん集めて政治 へ届けたくて、今日もパタパタひとしずくを運び続けます。(お世話になっているデザイン事務所で。右が井田さん)

どんな時でも、人として
大切なことを忘れない

君島理恵

那須塩原市
塩原温泉彩つむぎ 女将

私達は、小さな頃から、親に、学校の先生に、色々大切なことを教えてもらって生きてきました。人の話を聞くこと。人をだまさないこと。相手の立場を考えること。人には優しくすること。誰にでも公平に接すること。等々。どれも、人として生きて行くのに、当たり前のことだと思います。ですが、どうでしょう? 国民を代表して国の政治に携わっている政治家の方達、ちゃんとできているでしょうか。

国の政治の質、政治家の質がどんどん低下していることを、国民の一人として、大変憂えています。どんな立場でも、どんな時でも、まず人として大切なことを忘れないでいてほしい。心の底から願っています。自分の大切な一票を安心して託せる、そんな方に政治家になってほしいと思います。

暮らしの中の選択を
意思的に

福田 茜

栃木県鹿沼市
一本杉農園 蒔時代表

畑に囲まれてカフェを営みながら、子育てを楽しんでいます。生きることは選択の連続。今日は誰がどう考えて作った服を着る?誰が育てたどんな野菜を食べる? それを料理する時に手に取る道具は? もっと言えば、朝起きて、一番に自分の目に映る景色はどんなものがいい? それらは全部、自分で決められること。

私は、できる範囲で暮らしの中に美しいと思えないものや行動をなくしていきたい。感じること一つひとつを自分の選択の結果だと自覚したら、それまで無意識のうちに選んだことになってしまっていた物事に違和感や疑問を抱くことも。社会への興味の入り口は、自分にとっての心地良い暮らしを深く掘ることで見つかるように思います。

暮らしの公差

鈴木隆史

栃木県壬生町
会社員

私の携わる仕事、工業の仕事では、
錆、傷、ホコリは永遠のテーマ、問題です。
製品として世の中に出るときに大切なことは、その問題を取り除くためにクリーンルームで仕事を行い、特殊な光や音波、ものから跳ね返る音を視覚化して波長等で丁寧に探し、そうしたうえで出荷されます。  

こんな時にふと自らの暮らしや政治のこと、
一人から始まる社会について考えます。  
完全にクリーンな部屋はないし、完全な製品もない。 ただ、製品として許される範囲があります。 そして、結局、製品としての最後の判断は、”人間の目”なのです。

健やかな社会をめざして

小鮒ちふみ

栃木県那珂川町
こぶな農園台所担当・国際中医薬膳師

私たちは、3.11を機に農家になろうと決めました。田畑や家に放射能が降る地元の風景を眼にし、使い手によって光にも影にもなることを知りました。新型ウィルスの登場で私たちの社会が経済を主軸として回ってきた事実に直面し、これからどう働き暮らして行くか改めて考えていますが、経済優先で考えると人の命や自然が捻れてしまう感覚が残ります。

私がライフワークとして学び実践してきた東洋的養生では自然と人は互い影響し合い共に生きる「一つのいのち」だと捉え、人が健やかに生きるためには自然との調和が大切だと伝えています。その視点から見つめると自然と共に生きることが健やかな心身を育み、自然を主軸にした新たな社会へ繋がるのではないか?  すべての命が健やかに生きる社会を目指して。震災から九年を経て念願の農家になることができた里山農家より。(撮影:柴美幸)

子育てと仕事が
両立できる社会がいい

倉澤範子

宮城県仙台市
仙台市認可保育園(社会福祉法人)勤務
管理栄養士 

ボランティアで、せんだいこども食堂キッチンチームで活動しています。こんなにも情報はあふれているのに、正しい情報を掴み取ることが難しくなっていることを感じます。仕事でもボランティアでも、食を通して、子どもとの生活の楽しさを伝えていきたいと思っています。

小さな子がいるだけで大変なのに、働きながらの子育てはさらに忙しそうです。もう少し余裕が持って、子育てと仕事の両立ができる社会がいいなと思います。正社員か、パートタイムかの選択だけではなく、もっと多様な働き方が認められ、広がることを望みます。

草の根民主主義

小野寺さちえ

栃木県市貝町
爽菜農園、さとやま百姓学舎・代表

自然豊かな市貝町で百姓しています。農と子育てと暮らしと町づくり、研修生受け入れ、海外農業技術支援などなど、自分の身近なところから心と身体が豊かになる輪が広がったらいいなと思っています。農業と暮らしが切り離せないように、暮らしと政治も切り離せませんが、政治が変われば暮らしが変わるのではないと思っています。世の中をガラッと変えてくれるような救世主を夢見ていてもいつまでも変化は訪れない。

近所のおじさんと会話し、自治会の皆さんと対話し、町の話し合いに参加し、議員さんと友達になり、町長と一緒に畑で汗を流す。こちらの意見を押し通さず、相手の話も聞きお互いに色々な考えがあることを分かり合った上で、一緒により良い方向を模索していく、その連鎖が遠くのおじさん(政治家とか)も変えていくのかなと。足元から作り上げる「自治」。それが暮らしとつながる政治だと思っています。(撮影:柴美幸)

暮らしアプローチと
課題アプローチ

森 良

東京都豊島区
NPO法人エコ・コミュニケーションセンター代表

コロナ禍の教訓の一つは「人や物を大きく動かさなくても近いところで融通しあえば生きていける」ってこと。それと「仕事より生活を重視する」人が増えたこと。暮らしアプローチの人が増えれば地域や暮らしが変わる。  
コロナで死ぬ人は貧困層が多い。圧倒的な貧富の差をなくさなければ感染症は終息しない。

だから課題アプローチも必要だ。「誰一人取り残さない」と。  
生活者のわたしのなかで暮らしアプローチと課題アプローチは一つのものとして身体化される。なぜなら人間の身体は600万もの菌や微生物との共生体だから。つながりで生きるのが人間だから。
考え、対話し、共に動く。共に生きる社会、世界に向けて。

野菜をとおして
みえるかな

飯塚仁美

栃木県宇都宮市
おすそわけ八百屋

撮影:柴美幸
子育てを自然豊かな里山でと宇都宮と里山を往来する暮らしの中で、小さいながらも大地と命を守る農業を営まれる方にたくさん出会いました。生産者さんの手だけでは、丁寧に作られた野菜の行き場に限界があることを知り、この往来を利用して、生産者さんに代って、野菜のおすそわけをしています。 

スーパーに行けば、どんな野菜も季節を問わず買える時代です。命の源である野菜が、どんな風土で、どんな人が作り、どんな種を選んでできたのかわからぬまま口に入ってしまうのは、なんだかそれぞれの命に申し訳ないですよね。自分の家族だけでなく、共に同じ時代を生きる多くの人に、もう一歩、自分の命を作る食の背景に歩み寄ってもらえたら、そこからみえる問題が自分ごとになるかしらと思いながら、せっせと野菜のおすそわけを楽しんでいます。

公教育で
地に足がついた学びを

君島佳弘

栃木県茂木町
農家民宿・パン屋 経営

里山環境の豊かな栃木県茂木町。そこに集う移住者の心地よい雰囲気に惹かれて2018年に移住し、現在は家族で農家民宿とパン屋を経営しています。暮らしもお店もまだまだ模索段階ですが、季節の移り変わりを感じられる環境と地域の方たちの優しさに支えられ、少しずつ歩みを進めています。

私が政治に求めるものは、公立学校の教育に「食」と「農」を取り入れてほしいということです。先の震災やコロナウィルスの社会への影響を経験し、私たちは、人が安心して暮らせる社会には「食」と「農」、また、それらを支える「土」や「地域コニュニティ」が欠かせないと学びつつあります。未来の大人達の安心のために、地に足のついた教育改革を望みます。

 

人間の魂や意識はどこに?

飯沼靖博

栃木県那須塩原市
那須野が原生きものネットワーク代表
絵描き

人間社会で挫折し引きこもりの自分を救ってくれたのが自然との繋がりだった。環境保全から始め、家業に農業部門を作り、菌と生物の力をかりて野菜を作り、その営みと可能性を絵に描いている。畑の土に触れる中で、「魂や意識はどこに?」と考えるようになった。我々の体内でも生成される幸せホルモンは、元々は微生物が自身の情報伝達に使うモノだそうだ。だとすれば感情は微生物よって作られ、その集合体が魂や意識なのではないだろうか?

彼らと共生している植物にも我々と似た感情があり、ある群落での土の繋がりから現れる風景は、一つの生命体の魂や意識と考えることが出来る。我々の社会に流れる空気や政治もそんな風景に似ている。環境変化の中で、その風景をどう捉え、我々一人一人が個の微生物としてどんなホルモンを生成して行けば良いだろうか? 不安物質に振り回されず、幸せ物質を振り撒きたいものだ。

「農業」について
 国民的議論を

木下裕文

兵庫県三田市
造園業

兵庫県で造園業を営む、木下裕文です。庭を設計し、施工するにあたっては「落ち葉や勝手に生えてくる草などがお庭の風景に溶け込む、そこで物が循環していき、地域の小さな生き物が立ち寄ってくれる場所になること」を願っています。私が社会に願うことは、「農業」についての国民的な議論です。例えば、農地をどう継承していくか。

高齢化した農家さんには後継者がなく、しかしながら新規就農するにもハードルが高い。このままでは多国籍企業などによる大規模農業化、農薬など化学物質の曝露による生態系の破壊、子供の発達障害等が心配です。国や地方には小規模農業、環境配慮型農業の支援、市民には共に農業のあり方を語り合うことを願います。
(写真:落ち葉で堆肥づくり講座の講師を務めた時のもの)

多様な個性を
受け入れ、育む社会に。

粟谷しのぶ

栃木県矢板市
三児の母、弁護士

三児を育てるシングルマザーです。2020年3月末に栃木県に転居してきました。11歳の長男は発達障害があり、2年近く不登校を続けています。歴史が大好きで正義感があり、でも繊細で敏感な彼は、都会の生活に馴染むことができませんでした。自然に囲まれながら、ようやく彼に明るい笑顔が戻ってきてくれたことを嬉しく思います。

それでも、彼の将来への不安は尽きません。勉強は大丈夫なのか、仕事ができるようになるのか、私がいなくなったときに一人で生きていけるのか…。彼に居場所をください。彼の個性を受けとめてください。多様な個性と価値を包摂し、誰一人として取り残さない社会になっていってほしいと切に願います。

 

主権をもつ
生活者からのメッセージ。
発信プロジェクトを始めます。

みなさま、こんにちは。
私たちは、栃木県内に拠点を持つ、市民有志10名です。
2018年の3月に「こどもの未来にYES!をつくろうネットワーク」を立ち上げて、年に4回、は、「環境と経済」や「食と農」「ジェンダー」「憲法」「市民活動のツールとしてのSDGs」などのテーマで、「暮らし×社会×地域性」を常に横断しながら学び合う集まりを開いてきました。3年目にあたる今年は、これまでの学び合いをもとに、参加者の声を募り、ワークショップ形式の編集会議を開きながら「どんな未来ならYES!と言えるか?未来ビジョンブックをつくろう」という活動を行う予定でした。とはいえ、ブックを作るには費用がかかるし、まだまだ集まる機会も作りにくい。ということで、5月に入り、発起人と有志で相談しまして、さまざまな生活者の声〜暮らしの現場からの視点で、社会や、政治の現場への希望や提案や意思表明〜を発信していくウェブ上のページを立ち上げることにしました。

これまでの勉強会で通底して共有してきたことは、「個々人の暮らしと社会や政治との関わりへの視点を持つことの大切さ」でした。世界的な新型コロナウィルスの感染拡大の状況下で、生活の基盤も危うくなり先の見通しが立たなくなる中で、私たちの「暮らし」や「いのち」は、市町、県、そして国の政治の在り方によって大きな影響を受けることが浮き彫りになり、いち市民の声は、果たして政治を行う人たちや社会のリーダーに届くのか?という無力感にも襲われます。「社会」からは、同調圧力の「矢印」が、場の空気に混じりながら私たちに降りてきます。政治家からは、いつのまにか決定されている「法案」や「施策」が「彼らの主張」の「矢印」となって、私たちに降ってきます。さて、そろそろ、その「矢印」を主権者の側から「逆向きに」放っていきませんか?という、取組みです。また、(諸外国に比べて)日常生活の中で「政治の話がしにくい」、あるいは「政治に無関心な人」が多いと評される日本の「空気」を少しずつ変えていきたい、という取組みです。

民意というものの伝えかたは、選挙での投票、デモや集会、署名、請願、SNS での発信など、さまざまな手法がありますが、この活動は、ひとりひとりの暮らしの現場のリアルを「何千人の中の1」と分子の1に圧縮してしまうのではなく、ひとの暮らしの表情や息遣いをそのままに、ぞれぞれの言葉で積み重ねていくことで「見えてくるもの」を大切にしたいと思います。これから、数日にひとりずつ登場して声を重ねていきます。メッセージ掲載を希望される方は、どうぞお気軽に、フッターに記載の問い合わせ先アドレスまでご連絡ください。

なお、この取組みは、右や左や立場や主義主張を超えた、生活者発信のフラットな取組みであり、特定の政党や政治家、候補者などを支持・支援するものでもありません。

2020年6月吉日
市民メッセージ編集委員会

粟谷しのぶ、倉本芙美、小山博子、廣瀬俊介、福田大樹、松永玲美、簑田理香、阿部和子、杉本聡子、三厨由美