3| 企画書は枝葉のための、根。

今回は、ミチカケの創刊企画書について。

「企画書」は、とても大切です。
新しい概念や活動には、新しい言葉が必要です。
ただし、地に足がついた、言葉、です。

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企画書あるある…で言うと、なんとなく言えてる気になりがちで中身がないものに「カタカナ言葉」の使い方があります。

「ブランディング」と、見出しに書かれていて、本文に書かれていることは、ただの状況の説明だったり、「コンセプト」と見出しに書かれていて、本文には「実行項目」が箇条書きで書かれていたり、そういう企画書をこれまでにも残念ながら身近なところで散見してきました。

そもそも何を目指そうとしているのか、自分でも曖昧にならないために、関わる人々と、しっかりとブレのない共有ができるために、私は、企画書では、「雰囲気だけそれっぽく見える」カタカナ言葉を使わないように試みています。プロジェクトマネージャーを務めた「土祭」でもそうでした。

企画書は、1回書いて終わりではありません。
関係者と検討を重ね、ヒアリングを重ね、自分自身でも、少し寝かせながらまた考えて、いろんな人と話し、話を聞き、本も読み、修正や改訂や…なんども手を加えていきます。その過程で、「妄想」や「構想」や「概念」が「借り物ではない、自分のもの」として、肉体化=自己同一化されてきます。ちなみに、ミチカケの場合、2012年12月に新規事業申請として役場内で起案した最初の企画書から、半年間、8回ほどの改訂を重ね、8訂版として創刊企画書が確定しまのは、2013年の6月です。

いま、読み返すと、かなりツメの甘さが目立ちますが、ミチカケの創刊企画書から、一部を抜粋して、紹介します。

…………

[創刊の理念]
ブームからブームへと流れながら消費されていく東京発信のメディアに頼るのではなく、私たちが独自のメディアを持ち、私たちの足元から、私たちの言葉で、今の時代に大切なものをしっかりとていねいに伝えていきます。特に首都圏で働く若い世代に、単に「好きな町」「遊びに行きたい町」から進んで「第2の故郷」「大切な場所」として位置付けてもらえるように。

[ミチカケとは?]
益子の風土に暮らす「人」と、風土に根ざした人の「暮らし」を伝える本。

[編集方針]
1 情報ではなく、人と暮らしの「情景」を丁寧に伝えていく。
田舎がいい、古いものがいい…という視点ではなく、その情景には「新しい生き方のヒント」を描いていく。

2 一地方の小さな田舎町での話を「普遍性」を持たせて伝えていく。
ミクロの視点から見出されるものが、今の時代に本当に必要とされる「普遍性」をもつものへと広がり、今の時代に暮らす人へ共感をもっていただけるように伝えていく。

[名前に込める意味]
古来より、新しいはじまりの象徴とされる新月。そして再び満ちていく月。その繰り返しとともに、綿々と紡がれていく人の暮らし。過去から今、そしてこれからへ。益子の風土にしっかりと根をはり、それでいて、たおやかに風にそよぐ人の暮らし。そこから生まれる普遍的で大切な人と暮らしの情景を伝える。

…………

むむむ。名前の由来のあたりが、いまひとつ練れていませんね。

さて、企画書の理念や方針が植物の「根」だとしたら、そこからブレることなく、茎を伸ばし枝葉を広げていくものが、誌面内容になります。誌面の中でも、企画書という根から伸びた、最初の茎と双葉のようなものが、巻頭のメッセージです。
ここでは、「ミチカケ」が、この土地をどのような風土性をもつものとしてとらえているかを述べて、そして、理念や方針を、企画書から「翻訳した」表現で伝えています。もちろん、ここには「2|たとえば30年先のために」で書いた観光PRへの考えも反映しています。

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……

数千万もの人々を抱える広大な平野が終わり

北へ連なる山々が始まる、ふたつのものが出会う土地。

平野と森。北の木々と南の緑。土と炎。

古きものと新しきもの。

足元の土とともに農業と窯業をつないできた人、

土地の気風にひかれ移り住む人。

大地にしっかりと下す根っこがあり、

風にそよぐ枝葉が活きる。

豊かな風土と、ものづくりの手が出会い

生み出される健やかな暮らし。

北関東の小さな町の、小さな暮らし。

その情景を、この町で暮らす私たちが描き伝えていきます。

新しい明日への手がかりのひとつとして。

……

次回は、デザインと写真の話、もしくは、特集の話を。

2| たとえば30年先のために

2012年の12月に企画書を提出し、2013年9 月に第1号を発行した
益子の人と暮らしを伝える「ミチカケ」は、今月20日に第7号が出来上がります。
この夏は、ミチカケについて立て続けに2つの取材を受けて、
あらためて創刊企画書を見返したりしていました。
前回に続いて、今回はミチカケの輪郭が見え始めたいきさつについてまとめておこうと思います。

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…… 創刊の背景

2012年12月に企画書を提出し…と書きましたが、ミチカケは、2012年秋に益子町が開催した「土祭(ひじさい)」というアートイベントから生まれた、とも言えます。

益子町は、東京から北東に車や電車で約2時間の位置にある、窯業と農業の町です。窯業のルーツは江戸末期にあり「益子焼」の産地として窯元や販売店が多く立ち並び、春と秋の「陶器市」は多くの観光客で賑わいます。
観光の町として、これまでにも、イベントの開催やツアー客の呼び込み、首都圏への営業など、さまざまなプロモーションを続けてきていますが、2009年に始まった、益子町主催のアートイベントの祭り「土祭(ひじさい)」(2009/2012/2015に開催)を通して、新しいプロモーションの考え方が加わりました。
「土祭」は、農業と窯業の町として、その基盤となっている「土」を中心に、益子町の「風土」の魅力を基礎にして、アート作品の制作と展示や、風土にちなんだテーマでのセミナーや来場者が参加できる体験イベント、音楽祭や食のプロジェクトなどを約2週間に渡って開催するものです。
アート作品の展示は、メインストリートだけではなく、路地裏や中心地から離れた里山の地域などの古い空き家や神社、空き地などでも行い、来場者が益子という土地のさまざまな表情を楽しめるように会場を設定しています。
2012年の土祭で行った来場者アンケートに寄せられた声では、首都圏で働く30代を中心に「これまで観光で訪れた時にはわからなかった、益子の魅力が感じられた」「町の風土と作品が作り出す世界観に共感した」などの声が多く寄せられました。

私は、もともとフリーランスのエディター・ライターですが、この「土祭」を担当するために、2012年2月から2016年3月まで、益子町役場の臨時・任期付職員として仕事をしてきました。
2012年の土祭での来場者の感想などの手応えから、益子がもつべきメディアの「構想」が輪郭を帯びてきました。
お店で何かを買い、カフェやレストランなどで美味しいものを食べ、風光明媚な景勝地やレジャー施設で過ごす…など、
消費行動が中心の一般的な観光PRや、1年365日のうち、いったい何日イベントやってるの?というイベント重視のありかたで、いったい「何が」伝わるのだろうか…。一時的な「煽り」では持続性がなく、将来的に立ち行かなくなるのではないか。一歩踏み込んで、益子という土地や風土性がもつ潜在的な力を引き出し、土地がもつ本質的な魅力や、その土地で暮らす人々と風土の関係性、そして、暮らしのあり方の魅力を、外に向けて伝えていくことが、たとえば30年先の私たちの町にとって、必要なことではないか、と。人と土地や町のつながりも、人と人の信頼関係をどう築いていくか…と、基本は同じではないか、と。

雑誌やウェブサイトでの情報発信のあり方についても思うことがありました。
益子町は観光地ですから、都内に本社があるメジャーな雑誌などで紹介されることも多くあります。じっくりと取材した丁寧な記事もありますが、似たような表面的な紹介が繰り返されることも多く、そのように中央のメディアに「情報も消費される」だけでは、ブームという波に翻弄されるだけです。益子のような町は、じっくりと町の内側から伝えていく、独自のメディアを持った方がよい…と考えたのです。

「と考えたのです」、と、さくっと書きましたが、12月に企画概要を提出してから、さらに半年をかけて、編集方針や仕様、構成案などを練っていきました。写真をお願いすることにしていた矢野津々美さん、食に関する記事をお願いしようと考えていた(当時観光協会勤務の)池田絵美さん(都内でオーガニック系の草分け編集部勤務経験あり)も創刊準備チームに入ってもらい、本のタイトルなども3人で出し合いながら決めていきました。(「ミチカケ」は矢野さんの案です)

ちなみに3人で出しあって、ボツにした、雑誌名はですね……
「森の庭」「あめつち」…えええ、それからなんでしたっけ。もう「ミチカケ」しかありえませんね。
後日、益子が誇る人間国宝・濱田庄司のお孫さんにして益子参考館館長の濱田友緒さんに
「焼き物の町の雑誌の名前で<カケ>がつくのは、いかがなものでしょうか」と、苦笑いをされましたが。

どんまいミチカケ!

月は「欠け」ていきますが、また満ちてきます。
焼き物も「欠け」ることはありますが、そうしてまた土に還るのです。
ミチカケは、健やかな未来への道を「駆け」ていきましょう。

次回は、企画書のお話です。

   土祭ウェブサイト → こちら
   ミチカケ公式サイト → こちら

1| はじまりのオレンジ

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このカテゴリーでは、益子町観光商工課在籍時の2013年秋に創刊した『ミチカケ』の企画の背景や編集の考え方、行間のことをお話ししていきます。

今回は、最初のはじまりのことをほんのすこし。
ミチカケ的なものの必要性を感じ始めたのは、2009年の「第1回土祭」で広報宣伝のお手伝いをさせていただいた頃です。写真にあるオレンジの表紙のノートは、この2年ほどの土祭やミチカケ進行時の打ち合わせや取材、聞き取りなどで使っていたもの。
そして、とても小さなRHODIA のノートは、2010年に持ち歩いていたもので、最初の数ページは、2010年秋に瀬戸内国際芸術祭を訪ねた際のフェリーの時刻や船待ちの港で、タテタカコを聴きながら何故か読んだ一句などが、あまり見たくない雑な筆跡で書かれています。
それから数ページあいて、突然「益子初の新雑誌創刊に向けてのアイディアメモ」的な走り書きがはじまります。

いやー、自分自身で見返しても、なんともはや、苦笑いです。

□山ガール、森ガール。
 であれば里ガール・里ボーイがいてもよい?
□どんぐり散歩道。
□北緯*度、東経*度の定点観測
……など、意味不明の走り書きに混じって、
□◎◎家の食卓 
…というメモもあり、こちらは無事に誌面で連載中です。

それにしても、里ガールはまあよしとして、里ボーイって、どうでしょう?そのうち企画として再浮上するかもしれません。びみょうですね。

ともあれ、2010年にはじまり、益子で根を張って暮らす方たちと語らい、教えていただき、ともに活動をしながら考えを広め深め、2年という日々を経て、2012年の12月に「企画書」として集約させ提案させていただき、翌2013年の9月に生まれたのが『ミチカケ』です。
次回は、企画創刊の企画書についてお話しします。