「風景と、未来の物語」⒈企画監修という仕事

2年前の秋に、益子町の南部の田園地帯にできた道の駅ましこ。
道の駅には珍しく、企画展(展示販売)のスペースが作られています。

7月から10月初めにかけての展示の企画・監修を道の駅ましこより委託され
企画展「風景と、未来の物語|前期・ミチカケ展|後期・土祭展」を立ち上げています。

この企画について、3回に分けて記録を残していきます。
今回は、「企画・監修」という仕事と企画趣旨ついて。
 *若い世代の皆さんの参考になれば幸いです)
 *写真は「ミチカケ展」会場で流していたスライドの扉。
  ミチカケ10号特集より。撮影:佐藤元紀


⒈企画趣旨とタイトルについて

担当者から相談があったのは、今年の3月。
4回目の土祭が行われる今年、
土祭と、土祭から生まれた『ミチカケ』を基にした
アーカイブの企画展示を行いたい、ということでした。
打ち合わせの記録を振り返ると、道の駅から提示されたのは、
・ミチカケをもとにした展示は、移住定住促進の一助として。
・土祭を基にした展示は、土祭での田野地区の展示のテーマに
「農業と地域に息づく伝統文化」があるので、
風土風景を読み解くつどいも開催したい。

・・・ということでした。

どちらも「過去」の記録をもとにしたアーカイブ展を期待されたわけですが、

そこにどのような価値をつけるか、まさに「編集的思考」の考えどころ。
単なる過去の再編集の場を作り上げてもそこから何も生まれない。

過去のアーカイブから、どのように未来を描けるか?です。
実は、その視点での「編集」を行ったのが
3月に発行した『ミチカケ』最終号「風景と、未来の物語」でした。
土地と人との関係性(風土形成)と、その進展への願いについて
私が土祭2012/土祭2015、益子の風土・風景を読み解くプロジェクト、
そしてミチカケ全10号を形にしていく過程で、
この土地から地域の方達から学ばせていただいたことを
1つの集約という形にした(つもり)の特集です。
軸はひとつです。

道の駅での企画展示の全体タイトルを
「風景と、未来の物語」とさせていただきました。

企画内容については、道の駅ましこ特設サイトを御覧ください。


⒉構想を形にするまで

4月に入り、担当者と企画内容の組み立てについてのやりとりが始まりました。
企画監修というお話ではありましたが、

結果的には、企画・コーディネート・制作・監修という仕事量になり
しかも、非常勤の常勤という大学勤めの時間外(平日夜と週末)を
かなり費やさざるを得なかった、とてもシンドイ夏となったことは
近しいみなさんご存知の通り。
(なんとか夏を生き延びております!)

夏を生き延びた記念に、この記事のメインとして、

あちらこちらで、いろいろと「不具合」も察知する夏でもあり
相談も持ち込まれる夏でもありましたので、
私がものごとを形に落とし込んでいくプロセスを以下に公開します。
次世代の若い皆さんの参考になれば幸いです。

ざっくりとした、あるいは、ぼんやりとした「構想」を
形にして、具体に落とし込んでいく。
その過程に、どんな道筋を組み立てることができるか?
ちょっと丁寧に「可視化」できる部分のみを公開します。

PCでは、案件ごとにフォルダを作成いています。

道の駅ましこ企画展示のフォルダの中は、このように整理しています。
(ほかの案件でも、仕事内容にもよりますが、ほぼこれが基本)

私の場合は、基本的に3つのステップで、
その段階で必要な書面を作成しながら関係者と共有して進めていきます。

①構想メモ・趣意書の作成・文章化
 ・発注者の依頼内容を受けて、
  どんな人に対して・何のために・何を・どのように・どんな意味づけで行うか? 
  文章化して依頼主と共有し、確認し合います。
 ・この段階でアートディレクターとも相談し、コンセプトに合致するメインビジュアル
  や宣伝媒体の方向性を決めていきます。

②企画書
 ・企画趣旨/目的/期待される効果/展示やイベントのコンテンツ一覧と各概要/
  制作体制/スケジュール/予算…などの項目で何回も改訂し、
  紙やPCの上から、会場の上に「立体化」していきます。。
  依頼主と合意を得られたところから、作家や関係者に企画趣旨を説明したり
  参加依頼を始めます(道の駅担当者と分担)

③実行計画書(コンテンツごとに工程や分担体制なども計画)

ここ、大切です。
ざっくりとした企画案だけで、しかも趣旨やコンセプトも関係者で理解がバラバラなまま、
共有される計画書もないまま、各自が成り行きで、
そして個々の好みや感覚で好き勝手に動き出すと…、どうなるでしょうね。

本来なら、企画監修の立場でここまでやらなくてもいいはずですが、
今回は諸般の事情で、企画監修者(兼)「担当者」のようでもありました。

1つの実行計画書の部分を貼っておきます。ご参考までに。

 

3企画趣旨文|道の駅特設サイトから転載

外向けの発信で、イベントや企画のことを伝える時、
その文章は、しっかりと組み立てられた趣意書や企画書があれば
それをベースに書くことができます。
以下、道の駅特設サイトから転載します。

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風土に育まれる感性が生み出す、手や心の仕事。
プランニングディレクター 簑田理香

伸びやかでやわらかい、益子の風景に溶け込む道の駅ましこ。
その大屋根の下で、『ミチカケ』と「土祭」をもとにした企画展を行います。

『ミチカケ』は、2013年9月に創刊し、2018年3月に終刊するまで、
年2回のサイクルで益子町が発行していた益子の人と暮らしを伝える雑誌です。
そのアーカイブをもとに、「手仕事」と「移住」をテーマにして、
展示や作家の作品/商品の販売、関連イベントを開催します。

「土祭/ヒジサイ」は、2009年に生まれ3年ごとに開催する、
益子の風土に根ざした新しい祭りです。これまでのアーカイブ、
特に3回目の土祭の基礎とするために2014年から1年半をかけて
全町に渡り地域の方達と進めた「益子の風土・風駅を読み解くプロジェクト」を基礎にして、
「風景」と「未来」をテーマに、展示や関連した作品/商品の販売、イベントを開催します。 

 

「土祭」と「ミチカケ」のアーカイブ展の企画、というお題を道の駅ましこからいただき、
まず思い描いたことは、「単なる過去」の編集ではなく、
過去・現在から、「未来へ」へと
思いや考えを馳せるきっかけとなるような編集を、ということです。
「風景と、未来の物語」というタイトルは、『ミチカケ』最終号の特集テーマでもありました。
私たちが先人から受け継いだもの、
益子という土地で積み重ねられてきた風土と人の営みの関係性は、
私たちの眼の前に「風景」となって、暮らす人の姿とともに現れています。
その風景の中で生きる私たちの「今」の営みが、「未来」の風景を形づくることになります。
私たちは、風景からどんな風土を読み解き、そこからどんな感受性を育み、

なにを生み出してゆくのでしょうか。どんな未来をつくってゆけるのでしょうか。

 

風土に育まれる感性が生み出す、手や心の仕事。
ぜひご来場いただき、「これまで」の積み重ねを活かす、「これから」のあり方についても、
農作物や工芸の品を「つくるひと」も、「つかうひと」も、
一緒に考えてゆける空間となれば幸いです。

益子町の事業として展開した「土祭」も「ミチカケ」も、
ダイレクトに販売に繋がる販促企画として立ちあげたものではありませんが、
ものづくりの町としての風土や背景などを多視的に伝える試みを続けてまいりました。
今回の企画展示では、そういった「基礎」の上に、
作り手たちの作品/商品を、知恵や考え、生き方・暮らし方とともにしっかりと伝えながら、
益子の手仕事の価値をお届けできればと思います。

ご来場をお待ちしています。

それでは。

次回は「ミチカケ展」について。

4_編集私論⑶ 地域の価値を伝える 
「あわい」の土地で

ええと、
しばらくぶりの投稿になってしまいましたが…(若干、遠い目)
今日は、ウェブ上で新しくリリースされた、企画・取材・執筆を担当した記事についてのご案内。

スクリーンショット 2017-08-20 19.44.22

…と、ご案内を通して、編集私論の⑶についても語ります。

これまで
⑴「私/個」から「公/共」あるいは「普遍」へと繋ぐための
  「構成」について
⑵ 地方自治体の仕事:デザインを入れる前に考えるべきことについて
…と綴ってきましたが(まだたった2回だったんか!)

今回は
⑶ 反復横跳び…について(謎)です。

*******
今回、ご案内するのは
茨城県大洗町の宿「里海邸」ウェブサイトの読み物「宿物語」です。
リンク|こちらをクリック

この連載第1回が形になるまで(企画を固めるまで)について、
お話しようと思いますが、え?どこが「反復横とび」かって?
それは最後に(ちゃんとそこに帰着できれば)ね。

宿のオーナー石井さんと初めてお会いしたのは、土祭2015の会期中。
「益子の風土・風景を読み解く」展示会場でした。
土祭やミチカケにも関心を寄せていただいていたということで
その後、笠間のデザイン会社TRUNKさんを通して
里海邸ウェブサイトで
「宿がある大洗の価値を伝えていく連載」の依頼をいただきました。

いま流行りの言葉で言うと
「観光プロモーション」
「地域の資源で、ストーリーを作っちゃおう」的な?

いえいえ、曖昧なまま乱発される横文字言葉には私は乗りませんし
うわっつらだけの「ネタパズル」のような「ストーリー」は
地域になんの福利ももたらさないことを、
これまでに痛切に感じてきています。

なんといっても、オーナーの石井さんの考えや意図は
もっと広く深いところにありました。
デザイン事務所の笹目さんも交えて、
何度かじっくりとお話をかさねながら
丁寧に、その「価値を伝える企画」を詰めていきます。

①地域に向き合い、地域を知る
もちろん、「大洗町史」も読みます。
石井さんの考えの根底にある、レイチェル・カーソンも読み直します。
もちろん現地を歩きます。波の朝も夜も体感します。
打ち合わせとしてではなく、石井さんに聞き取りもします。
基礎取材としてキーパーソンに聞き取りをします
(大洗町生涯学習課文化振興係の方にいろいろと教えていただきました)

②企画を具体化していく
そうして初めて、「企画内容」を詰めていきます。
私がこのような仕事を受けた場合、打ち合わせ内容を踏まえつつ
「企画書」をしっかりと作ります。
パワポで箇条書きで作るようなものではなく、しっかりと文章を書きます。
企画書の項目立ても、その企画に応じたものにします。
企画書は最初に提出したものをベースに意見交換を行い、
修正を加えていきます。
この場合、依頼主のオッケーが出るか出ないか、
出たら、そこで思考停止、ではありません。
悩み続け考え続けるので、なかなか固まらないこともあり、
今回の場合は、数ヶ月かけて(ほんとお待たせしました)
企画書は、5訂版が最終形です。

スクリーンショット 2017-08-20 19.07.51

 

ご参考までに、企画書5訂版の構成(項目立て)を以下に記しますね。
 ————————————————————————— 
  1 連載の趣旨(概要)
  2 価値付けのコンセプト
    ⅰ 前提
      ⅱ 基本的な価値
           ⅲ 大洗の特別な価値
  3 ねらいと期待される効果
        4 連載内容(案)
      ⅰ    連載を通してのキーコンセプト
     ⅱ 記事に付加するコラム的な要素 
   ⅲ 全4回の企画概要(仮タイトルとテーマ、取材人選案)
 ————————————————————————— 
 
     私の場合、どんな仕事においても
 1から3までのあたりが、長いです。
 考えを整理していくにも、時間がかかります。
 そうして「本当に地域のためになる(はず)」と思えて来ないと
 自分の中に納得できる「道筋」が見えてこないと
 具体的なアイディアは生み出せません(ある意味、不器用)
 
 さて、なつかしい、学生時代の体力テスト、反復横跳びの話です。

 上の文章の中で、企画書つくりのプロセスで
  ①地域に向き合い、地域を知る
  ②企画を具体化していく

 …と、見出しをつけました。
 
 これはつまり、このような側面もあります(←私の場合)
  ①地域に向き合い、地域を知る(具象を集める)
  ②企画を具体化していく(抽象化へ:概念化する)

 いつのころからか、企画を考えたり、文章を作成するプロセスでの
 私の中の動きについて、こういうことに気がついたんです。
 
     *
 ああ、私は、①具象 と ②概念 の間を
 かなりの頻度で行ったり来たりしながら、自分の考えや文章を練っているんだなあ、
 これは、エンドレスな「反復横とび」やよ〜(なぜか飛騨弁)
     *

    今回ご紹介した記事の中では、
 タイトルや文章などに、いくつかキーコンセプトとも言える
 大洗の価値付けの言葉がでてくるとおもいます。

 その土地で生きる人にあって、じっくりと話を聞く。
 他者の、日々の暮らしの中の、さまざまなエピソードが
 私の中に、その人の言葉で(具象)として入ってきます。
 また、別の人の話を聞きます。
 ある土地を訪れて、多くのものを見ます。
 見たものは情報として私の中に入ってきます。
 感じ、考え続けることで、それは(具象)のいくつかは繋がり、
 「それは、こういうことね」という解釈が生まれ、
 大げさに言うと 
 具象が集まって、概念としての言葉に整理されます。
 例えば、ここで「あわいの領域での生」という言葉が
 私の中に生まれたとします。
 そこで止まり、ではありません。
 この概念化された言葉という、照明(のようなもの)を用いて、
 また、その土地で暮らす人々の具体的なエピソードを照らします。
 すると、概念化された言葉が強固なものになったり、
 また少し違ったものが生まれてきたり。

 こういうプロセスは、企画を固めていくときだけではなく
 長い取材記事を書いていくときも、同じです。

    右に、左に、飛びながら、前に進めていれば、いいのだけれど。
 
 …というわけで、
 この企画記事の完成まで1年以上かかってしまったことの
 長い言い訳を終わります!

八溝の双子

渋谷ヒカリエ8/で開催された
笠間と益子の作家40名あまりの展示販売会、
「GO KASAMASHIKO via TOKYO」
(企画制作BAGN Inc|20170216−0222)
ご依頼を受けてパンフレットに文章を寄稿させていただきました。
本日、会期も無事に終了したとのことで、
クライアントさんの許可を得て全文を掲載します。

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八溝の双子

春の気配、というよりは少し手前の
「春がそろそろ動き出しそう!」という空気を、
毎年まっさきに感じる道がある。
「山笑う」という春の季語のことを
(こちらの口角もニコっと上がりながら)、
思い出させてくれる山沿いの道がある。

茨城/栃木の県道1号線。焼き物の産地、
栃木の益子と茨城の笠間を往来する道だ。
道に沿って谷津田が細く続く。その谷津田の向こうには
低い雑木の山並みが続く。
仏ノ山と名付けられた峠を一つ越え、片道30分ほどのドライブ。
その道は福島県白河市の南部に始まり、茨城県と栃木県の県境を
関東平野に向かってのびる八溝山地の南部に刻まれた、
細い谷筋に沿う。

土の手仕事を生業とする人が多く住む益子と笠間は、
八溝山地が、自らの西の麓と東の麓に桜の赤い実のように振りわけて
自らの風土から産み落とした双子−ヤミゾ・ツィンズ−のように、
そこに在る。

もちろん歴史的事実から言えば、
信楽の流れを汲んだ笠間焼の始まりが、
笠間焼の流れを汲んだ益子焼の始まりより約百年早いわけなので、
双子ではない。
もちろん笠間には笠間の、益子には益子の、歴史があり、土があり、
釉薬があり、スターが居た。
けれど百年ほどの年の差は、八溝山地が生まれてからの年月を思うと
あって無いようなものだし、そして何より平成の今、
それぞれの気風はよく似て、お互いが呼応する感度も高い。
ヤミゾ・ツィンズの似た気風は、何と言っても、
いい意味で「個」が立っている、ということだろう。
陶磁器の産地としてはまだ若く、個人作家にとって
風通しも良い土壌だった経緯もあり、個々の作り手が、自由に、
のびやかに(もちろん葛藤や悩みも抱えながらも)、
そして意志的に、ものづくりを続けている。

お互いが呼応する感度は、特に、登り窯や細工場の倒壊など
大きな被害を被った東日本大震災以降に高まった。
それまでにも、「かさましこ」という言葉を初めて使った、
焼き損じの土を再利用する実験集団「かさましこ再生土の会」や、
韓国の陶芸家との交流展の実施など、笠間と益子の作家が
共同で立ち上げたプロジェクトがあった。
震災後は、SNSを活用して、お互いの被害状況や復興への道筋を
共有しあい協力しあい、
それまで以上に、小さくてもユニークなコラボや、
作家同士で企画する交流展などが、そこかしこで生まれている。
益子で作家のオープンアトリエが開かれたら、
ファンに混じって笠間の作家も楽しみに駆けつける。
笠間の作家の土瓶に合わせて、益子の彫刻家が真鍮の取っ手を作る。
笠間の作家が益子の陶器市に出店を希望し、
それを益子の作家がサポートする。
たとえば、笠間の作家が提案した「台所」というキーワードのもとに
笠間と益子の陶芸家や、近隣の建築家やクラフトの作家が集まり、
新しい企画展を生み出す。
そんな日々の、産地と産地の人と人との繋がりは
見えにくいものではあるけれど、地層のように幾重にも積み重なり、
この土地の空気を多彩な色で豊かにしていく。

そして私やあなたが、笠間と益子を山笑う道で何度も往来し、
人と土地、人と人との関係性の中から生み出されたものや、
生み出す人、それを支える人や場所との出会いを重ねていくことで、
私やあなたの暮らしも、
その根っこから少しずつ健やかに豊かになっていく。

それぞれの産地の歴史とか特徴とか、
笠間焼の定義とか益子焼の定義とかを
比べながらの教科書的な予習は、まだ必要なのだろうか? 

私もあなたも、ただ、このヤミゾの土地に立って、
自分の目で見ることができるもの、
自分の手で触れることができるもの、
会って話すことができる人との出会いだけを信じればいい。
自分が求める感覚だけを信じて、
人の手で土から生み出されるものの力を借りて、
自分の暮らしをつくることを楽しめばいい。

産地と産地、人と人の繋がりが、幾重にも重なり層となり、
つくる人も使う人も暮らしを健やかに楽しめる土地。

都心から2時間。
ヤミゾ・ツインズの理想のクラフト郷へ、ようこそ。

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この展示会は、
栃木県・茨城県・笠間市・益子町という4自治体が連携し、
国の地方創生加速化交付金を活用した
二大陶芸の産地である笠間と益子の包括的なプロモーションを
展開した幾つかの事業の1つ、とのことでした。

企画制作のBANG Incのみなさんは、笠間や益子の作家さんたちとは
震災直後(それ以前からも)のおつきあい。
土地への理解や作家へのリスペクト、という共有の思いがあり、
コンセプトも「GO」に象徴されるように明快だったので、
書き手としても、書きやすい案件でした。

とはいえ、頭を抱えたこともありました。
「笠間と益子の包括的なプロモーション」とのことですが、
その2つの地域をどうブランディングしようとしているのか、
そのことが、事業主体の全体企画趣旨から、見えてこないのです。

「笠間と益子の包括的なエリア」というのは、
どのような土地だと定義されるのか?(されるべきなのか)
どのようにブランディングされているのか?(されると良いのか)

そんなモヤモヤを抱えながら「プロ」として自分に課したのは、
「笠間と益子の包括的な」と、謳い文句にあることの意味を、
「解き明かす」、そして、「伝える」ということです。

ただ、それは、「私」が文にしたのではなく、
2009年、そして震災直後から、繋がって、
さまざまな活動や交流をともにしてきた
笠間と益子の作り手のみなさんが「書かせて」くれたものです。

このエッセイは「土地と人への敬意」の「表現」であると同時に、
地方創生関連助成金事業の「進め方」への「提言」でもあるのです。