福島から辺野古の海を連れてきた


画:ヒロカネフミ(福島から帰る新幹線の車中で)
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震災後、
しばらくは音楽を聴くことができなかった状態からようやく抜け出し、
とにかく、ライブに行こう!とチケットを取ったのが
2011年のタテタカコ「Harkitek or ta ayoro」ツアー。
たしか4月末くらいの渋谷PLEASURE PLEASURE。
福島に想いを寄せるタテタカコという表現者が発する、
声も音も空気の震えも素晴らしく、
小柄な彼女が、ステージの上でとても大きく見えていた。

8年後の3月10日、今日。福島市の日蓮宗・本法寺で開かれた
Asylum in Fukushima(アサイラム福島)という
音楽フェスに参加してきた。
沖縄那覇の桜坂劇場で始まった「Asylum」を
震災後の福島に繋いだのが、タテタカコさん。

Asylum in FukushimaのFBページから
その経緯と趣旨文を転載します。

2012年、アサイラム福島は東日本大震災をきっかけにスタートしました。そのきっかけを作ってくれたのがタテタカコさんです。当時の福島は原発事故により、多くの人が避難し、残った人も将来に対する不安を抱え、様々な混乱がある中での開催でした。「今、音楽が必要なのか」という世間の問いに、正直、実行委員の私たちの不安も少なくはありませんでした。しかし、タテタカコさんの演奏は力強く優しく、聴く人たちに響き、多くの方が涙しました。その姿を見たとき「これからの福島には音楽が必要だ」と継続していくことを決めた瞬間でもありました。タテタカコさんが歌う、原発事故で福島県富岡町のふるさとのを奪われた85歳の佐藤紫華子さんの詩に、タテタカコさんが曲をつけた『ふるさと』に多くの方が癒されたのではないでしょうか。癒やされることの本質は「深く理解されること」。タテタカコさんの演奏は心の奥の大切なものを呼び覚まし、癒しによって前へ進む勇気を与えてくれます。それはアサイラムのコンセプトである「現代という荒野で音楽やアートに心の拠り所を求める」そのものだと思います。(転載終わり)



8年の歳月を、私がどう生きてきて、
これからどう生きていくのか。
また、彼女に歌に教えてもらいたいと、
チケットを予約していた。

Asylum in Fukushimaには、切腹ピストルズもエントリー。
隊長、今日の前口上は、「福島にお集まりの皆様の「意識」を助太刀いたす」。
「意識を助太刀する」って、
なんだかもうジワジワくる。かなり余韻が残っている。
これから何度も、このフレーズに助けられるだろう。



今日のこの日に、ここに集まった見ず知らずの人たちとともに聴いて踊った
「反近代祭り」も「耕し」も、いつも以上にパワフルだった。
彼らが「耕し」で歌うように
「ビルで埋め尽くされた東京を、すべて壊して、耕し直そう」です。
フレコンバックも除染土も、いくらでも置き放題になりますね>東京。



タテさんのステージでは、中盤に
「この前、県民投票がありました」と話しはじめ
「私は沖縄に住んでいないので投票などには参加できないけれど、
 この歌を歌うことで、あの海に立ちます」と、
12年前に作ったという歌を歌ってくれた(題名がわからない)。
今日のステージでは、タテさんの歌にあわせて1曲ごとに
ヒロカネフミさんが、ライブペイントをステージ横で行っていた。
OHPでステージに映し出されるその絵は、
辺野古の海のすべてを語っているようで…、
ライブ終了後、制作した絵は1枚1000円で販売するというアナウンスに
私は思わず、連れて帰ることを決めた。



タテさんは、歌の合間に、震災のことをこう語っていた。
 「8年が経つけれど、毎年、いろいろな人に話を聴くことで
  震災のことが遠ざかるのではなく、近くなってきている」

遠ざかるのではなく、
風化するものでもなく、
年月を重ねるごとに、また、その年月の分の、
あらたな苦悩や困難も重ねられていく。
国と東京電力という企業が起こした人災のもとに。
「もう8年経つのだから」
「復興に向けて進んでいるでしょ」
誰が、誰に向かって、そう言える?

Asylum:アサイラムという、馴染みのない英語は、
「避難」「保護」という意味をもつ。
沖縄で始まった、
「現代という荒野で音楽やアートに心の拠り所を求める」
というコンセプトを持つ音楽フェス「アサイラム」は、
私の中でも、また、沖縄と福島を繋ぎ直してくれた。

明日からの1年分の、エネルギーチャージを、ありがとう。
素晴らしい表現者たち。


最後に、
2011のタテタカコ・ライブで涙腺決壊となった
タテタカコ「卑怯者」の歌詞を。

手にとるように感じる心 やさしさと言うのなら
私はちっともあなたの気持ちを 予想すら出来ないし
あなたの助けを求める悲鳴 耳をふさいでしまう
あなたが暗いトコで手を求めても
私はふりはらうし 引っぱる力はありません 引きのばす力もないです
やさしいフリをよそおうことなら できるけど長くはつづきませぬ
弱い心をくるんであげる やさしさがあるのなら
私はきっともたれかかりきり いつまでたっても芋虫のまま
あなたの心情測ってみても 何㎝かわからなくて
私の屁理屈並べてみても どれもまずくて食べられない
肩がわりする力はありません  導いてゆく力もないです
身代わりになる勇気もありません 共倒れする覚悟もないです
ただ自分が倒れないように
ただ自分が立って歩くのを
ただ自分が轢かれないように
ただ自分になってゆくのを

藪の中のオオカミらしきものへ会いに行く。



2014年に行っていた益子の風土調査で訪れていた
大羽の御嶽神社へ。

当時も多少は荒れた感じはあったが、
久しぶりに訪ねた神社は、廃墟のように荒れ果てていた。

しかし、
拝殿に上がる階段さえも枯れ草や枯れ枝で覆われ、
人の手が入らなくなった山の斜面のようになっていても、
竹が拝殿の屋根を突き破ろうとも、
オオカミの(ようなものの)姿は、4年前と変わらず石灯籠の中に、
輪郭もくっきりとあった。

そうそう。
この姿を拝みに来た。

御嶽神社と彫られた石碑もあり、
石灯籠の他の面には「三峯」を表しているような山の姿も彫られている。
まちがいなく、オオカミの姿かと思うのだけれど
風化も進んだ石の肌からは、シカのようにも見えるような。。


2014の風土調査では、この神社のことを詳しく知る人に出会えず
ずっと、「宿題」のままになっている。
今年は、この荒れた状況もなんとかしつつ、ぼちぼち調査を進めたい。
体力復活させて、雨巻&御嶽にも登りましょう。

大晦日も元旦も、ただただ地続きで続く、ただの繰り返しとはいえ、
あらためて、今年の「はたらき」について考える。

12月に、久しぶりに読み返していた『オオカミの護符』(小倉美惠子・著)から
活動と仕事と稼ぎを地続きで行う私のベースとしたい文章を引用する。

 人が自然に身をゆだね、互いの力をうまく引き出し合うところに
 思いがけない「はたらき」が生まれてくる。
 これが仕事の本領なのだろうと気づかせてくれる。
 「個性」とは、そこに匂い立つものに与えられる言葉ではないだろうか。
 「稼ぎ」は人間関係の中で成立するが、「仕事」は人のみでは成し得ない。
 こう考えると、現代の「仕事」の概念は、ずいぶんと変わってしまったことに気づく。
 むしろ「仕事」だと思って行っている労働のほとんどは、
 「稼ぎ」と言えるかもしれない。
 (中略)
 人の力だけでもなく、また自然の力だけでもない。
 その双方をつなぐ「はたらき」が宿る「仕事」に出逢えたとき、
 人は感動を覚え、信頼を感じ、
 そこに人と人とのつながりが生まれるのではないだろうか。

2019/01/01
 

退行感覚

我が家の老犬は、去年まではできたことが
ひとつずつできなくなってきている。

そのひとつが、
ソファにひとっ飛びに飛び乗ること。

もうひとつが
自分のトイレで(大)をすること。

最近では、なにかしらの布が床に落ちていると
そこがトイレだと勘違いするのか、(大)をぽとんと。

老いることは自然の摂理で、退化ではない。

人はどうか。
時代の流れに、老いることを強いられていまいか。

 

出先の商業施設でトイレに入ると、
個室のドアを開けたとたん、突然、便器の蓋がパカリと開く。

用をすまして立ちあがると、
突然、勝手に水が流れて、(小)でも(大)でもきれいさっぱり流される。

(大)を通して、自分の健康状態を目視確認するひまもなく。
指差し確認するひまもなく。
自分の体の分身に別れを告げるひまもなく。

自分の手で便器の蓋をあけることもできず、
自分の手で自分の排泄物を流すこともできない。

技術革新という進化の中で、退行していく私たちの生。

昨日できていたことが、今日はできなくなる。
そのことよりも怖いこと。
昨日は気づけたことに、今日は気づけなくなることではあるまいか。